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村上伸次

日本のサッカー審判員 ウィキペディアから

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村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )は、東京都目黒区出身のサッカー審判員(元プロフェッショナルレフェリー)、元サッカー選手(ポジションはDF)。岐阜県在住[1]

概要 個人情報, 誕生日 ...

来歴

目黒区立第八中学校帝京高校から立正大学卒業。帝京高校時代の同級生に森山泰行礒貝洋光がいる[2]。大学卒業後、当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた西濃運輸でプレーした[3]が、1997年シーズン終了後の旧JFL解散とともにチームが廃部となることが決まり[4]、「サッカーに関わっていたい」という思いと、学生時代に取得していた4級審判員の資格を思い出し、28歳にして審判の道を目指すことになる[2][5]

学生時代に取得した4級審判員資格は失効していたため取り直し、西濃運輸での社業の傍ら[2]1998年に2級審判員、2002年に1級審判員の資格を取得[6]。2004年から日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の主審として活動している。

2005年4月28日、J1第8節・名古屋グランパスエイト東京ヴェルディ1969名古屋市瑞穂公園陸上競技場)の試合で当初第4審を務めていたが、主審を務めていた家本政明の負傷により後半から主審と交代。これが村上にとってJ1初主審となった[1]

2007年に西濃運輸を退社し[2]、翌2008年からはスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)契約を結んだ。

2021年12月1日、2021年シーズン限りでトップリーグ(Jリーグ)担当審判員から勇退することが日本サッカー協会から発表された[7]。2019年1月に大病(中程度の膀胱癌)を患い、集中治療室に運ばれ、同年の3月まで入院したことがきっかけになり、投薬治療で痛みを散らしながら審判を続けていたが、2021年10月16日のJ1第32節・ヴィッセル神戸アビスパ福岡戦でJリーグ通算500試合出場を達成したこと[8]で節目と考えて引退することを決意したという[1]J1リーグの最終担当試合は2021年12月4日に行われた最終節・名古屋グランパス浦和レッズ豊田スタジアム)で、試合後には両チームの選手の作った花道を通ってピッチを後にし、最後に胴上げで見送られた[9]。途中で浦和の槙野智章が、ユニフォームを脱いで村上に向けた感謝のメッセージを書き込んだアンダーシャツを見せ、村上が槙野にイエローカードを出す場面があったが、このイエローカードは村上からの要望などにより、公式記録には載っていない[1]

2022年からは後進の指導にあたるほか、ビデオ・アシスタント・レフェリー[VAR]およびAVAR専任担当として審判員登録されている。

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所属クラブ

経歴

  • 1級審判員登録:2002年11月14日
  • Jリーグ登録:J2副審 2003年/J2主審 2004年-2005年/J1主審 2006年-

2010年に国際主審として登録予定だったが国際審判登録の年齢が1年遅かったため、国際主審にはなれなかった[10]

出場記録

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
さらに見る JFL個人成績, 年度 ...
  • その他の国内公式戦
    • 全日本大学サッカー選手権 (2008)
    • 全国高等学校サッカー選手権 (2009)
    • J1参入プレーオフ (2012、2013、2017)
    • Jリーグチャンピオンシップ (2016)
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決勝担当

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出典

参考文献

外部リンク

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