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東谷夏樹
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東谷 夏樹(ひがしだに なつき、1930年7月13日 - 2006年8月31日[1])は、昭和期のプロ野球選手。ポジションは外野手。岡山県児島郡琴浦町(現・倉敷市児島)出身。
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来歴・人物
岡山県立琴浦商業学校在学時代は投手をしており、1948年、明治大学に在学していた杉下茂からナックルボールの投げ方を伝授してもらったという逸話が残る[2]。
1949年阪急ブレーブスに入団。1952年にはパ・リーグ初のサイクルヒットを達成。1955年トンボユニオンズに移籍したが1年で東映フライヤーズに移り、1958年現役引退。通算三塁打率46.03は史上最高記録である。
引退後、1960年から岡山県立琴浦商業高等学校、1965年から岡山県立津山商業高等学校の野球部監督をそれぞれ務めた。その後は故郷の倉敷市児島で児島自治会連合会を会長を務めた。
2006年8月31日に肺炎のため死去(享年76歳)。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- サイクルヒット:1回 (1952年4月13日、対大毎オリオンズ戦、川崎球場) ※史上4人目(パ・リーグ初)
背番号
- 20 (1949年)※この年は二軍番号制を採用していた。
- 28 (1950年 - 1954年)
- 5 (1955年)
- 27 (1956 - 1958年)
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脚注
関連項目
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