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松原一彦

教育者、政治家 ウィキペディアから

松原一彦
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松原 一彦(まつばら かずひこ、1881年明治14年)4月3日[1]1966年昭和41年)2月18日[2][3][4])は、明治末から昭和期の教育者政治家衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。

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松原一彦

経歴

大分県速見郡、のちの北由布村[5](由布院村[6]由布院町大分郡由布院町、湯布院町を経て現由布市)で、北由布村長を務めた松原達の長男として生まれ[5][7]、親類で漢学塾を営む松原孫作の養子となる[5]。1902年(明治35年)大分県師範学校を卒業した[2][3][4][5][6][7]

玖珠郡戸畑小学校勤務、同郡野上尋常高等小学校長を務め[5][6]、1907年(明治40年)旅順尋常高等小学校訓導、同第二尋常高等小学校長を歴任[5]。南満州教育会の創立に参画し常任理事に就任[3]。1915年(大正4年)広島高等師範学校教育学科研修生となる[5]。その後、東京府荏原郡視学、同社会教育主事を歴任し、青年団の指導を担った[2][3][5][6]。1926年(大正15年)日本青年館主事に転じ、さらに帝国教育会評議員、大日本連合青年団主事、同本部長、大分県勤労訓練所長、選挙粛清中央連盟幹事、大政翼賛会参与などを務めた[2][3][4][5][6][7]

1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に大分県選挙区から出馬して当選し、次の第23回総選挙大分県第2区)で再選され、衆議院議員を連続2期務めた[2][4][5][6]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選[8]。1950年(昭和25年)6月、第2回参議院議員通常選挙全国区から出馬して当選し[9]、参議院議員を1期務めた[3][4][5][6]。この間、国民協同党代議士会長、衆議院決算委員長参議院懲罰委員長第3次鳩山一郎内閣法務政務次官自由民主党総務、日本退職公務員連盟顧問などを務めた[2][3][4][6]。その後、第4回通常選挙(全国区)に出馬したが落選した[10]

1956年(昭和31年)から売春対策審議委員に4期在任し、晩年は全国老人クラブ連合会理事を務めた[6]

1965年(昭和40年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[11]

1966年(昭和41年)2月18日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される[12]

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脚注

参考文献

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