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玖珠郡
大分県(豊後国)の郡 ウィキペディアから
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人口20,446人、面積557.97km²、人口密度36.6人/km²。(2025年7月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
歴史
要約
視点
古代
太宰府出土の木簡に、「久須評」と書かれたものがあり、7世紀の評制時代の球珠郡のことと推定される[1]。評が郡に改称したのは大宝元年(701年)である[2]。
天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして球珠郡(漢字が現在の「玖」ではなく「球」である)が挙げられている。同書の球珠郡の条には、「昔此村有洪樟樹因曰球珠郡」と記されており、昔、この地に大きな樟があったことに因んで付けられたとされる。範囲は、概ね現在の玖珠郡全域にあたる。
また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』でも、球珠郡とされており、今巳、小田、永野の3郷があったと記されている。
江戸時代
1803年の唐橋世済他『豊後国志』によれば当時の玖珠郡には郷四、山田、古後、帆足の4郷があり、村は麻生原(アソバル)、内匠(タクミ)、恵良(ケラ)、美良津、魚返(オカエリ)など合計81村(村54、支村27)[3]。人口は約29,000人(石高29,333石)。特産品は砂金[4]、明礬石、砥石、天麻(漢方薬原料のオニノヤガラ)等。
近世以降の沿革
町村制以降の沿革

- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(7村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治26年(1893年)12月13日 - 森村が町制施行して森町となる。(1町6村)
- 明治29年(1896年)10月1日 - 飯田村の一部(野上・後野上)・東飯田村の一部(右田の大部分)が分立して野上村が発足[6]。(1町7村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)4月1日 - 万年村が町制施行・改称して玖珠町となる。(2町6村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 玖珠地方事務所が森町に置かれ、玖珠郡全域を管轄する。
- 昭和26年(1951年)1月1日 - 野上村が町制施行して野上町となる[7]。(3町5村)
- 昭和30年(1955年)
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 歴代郡長
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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