トップQs
タイムライン
チャット
視点
松田匡司
ウィキペディアから
Remove ads
松田 匡司(まつだ まさし、1974年11月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
Remove ads
来歴・人物
プロ入り前
星林高では1年夏に甲子園に出場。その後は投手となって、2年夏は県大会準優勝。
法大では、投手で1年秋にリーグ戦4試合に登板した後に外野手へ転向。投手としては高橋由伸にリーグ通算2号本塁打を浴びた。3年次に全日本大学野球選手権大会優勝、4年秋に東京六大学野球リーグのベストナインにも選ばれた。同期には副島孔太がいた。
野手ではリーグ戦通算20試合、48打数26安打11打点、打率.546。
社会人野球チームシダックスでは、都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場してベスト4も経験[1]。1999年の日本選手権初優勝に大きく貢献し、同年のドラフトで阪神タイガース7位指名を受けて入団。
プロ入り後
自慢の強肩で1年目から23試合に出場した。また足が速く当時の野村克也監督に高波文一や赤星憲広ら7人で「F1セブン」と名付けられた[2]。7月30日の対広島東洋カープ戦では延長11回無死一塁の打席で小林幹英からサヨナラ二塁打を放った[3]。
2002年オフに佐久本昌広とのトレードで福岡ダイエーホークスへ移籍[4]。2003年は自己最多の56試合に起用されるも、オフに戦力外通告を受けた。当初はトレード要員通告だったが、手を挙げる球団がなかったことから解雇となった。
その後大阪近鉄バファローズのテストを受け不合格となるが、翌2004年の春季キャンプにテスト生として参加し、強肩とハングリー精神を買われて合格。しかし同年10月6日に球団合併の際に2度目の戦力外通告を受け、現役を引退[5]。
速球に強いものの、変化球が全くと言っていいほど打てず、貧打に苦しんだのが、レギュラーに定着できなかった理由のひとつである。また、強肩だが制球力に欠けていたので投手転向もならなかった(法大時代は途中まで投手で、1年秋のリーグ戦に登板している)。
引退後
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 67 (2000年 - 2002年)
- 43 (2003年)
- 92 (2004年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads