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根本裕一
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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根本 裕一(ねもと ゆういち、1981年7月21日 - )は、日本の茨城県鹿嶋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、DF。
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来歴
地元の鹿島アントラーズでジュニアユース時代から育ち、1999年にトップ昇格したが、鹿島では出場機会が得られずに期限付き移籍を繰り返した。2002年にJ2セレッソ大阪、2003年にベガルタ仙台、2004年からは大分トリニータに期限付き移籍していたが、3シーズン目となる2006年に大分へ完全移籍[1] となった。2008年はジェフ千葉へ期限付き移籍した。大分を戦力外となった2008年のシーズン終了後に、トライアウトを経てJリーグ入りを目指す地域リーグのツエーゲン金沢に移籍。2009年のJFL昇格に貢献した。
2013年11月20日、2012年シーズンをもって現役引退した。
2022年現在は鹿島アントラーズ・つくばジュニアユースの監督を務める。
評価・プレースタイル
左サイドバック、左ウイングバックを主ポジションとしており、フリーキッカーも務めている。クリーンな守備も持ち味で、Jフェアプレー個人賞を2度受賞(2003年、2006年)した初の選手となった[2]。アテネ五輪を目指すU-22代表に選出され、層の薄い左サイドのポジションを争った。五輪最終予選のUAEラウンドでは森崎浩、成岡に押され招集外となるが、UAEラウンドの最終戦で森崎が累積警告を受け、さらに代役となるはずだった成岡がUAEラウンドで発生した集団食中毒からの回復が遅れ離脱が決まると、根本が追加招集され日本ラウンドの初戦に先発出場。後半途中に石川と交代するまでプレイしたが、怪我をしてしまい離脱した。
所属クラブ
個人成績
- Jリーグ初出場 - 2001年3月17日 東京ヴェルディ1969戦
- Jリーグ初得点 - 2002年3月3日 モンテディオ山形戦
- Jリーグ通算100試合出場達成 - 2006年10月7日 川崎フロンターレ戦
- 2003 JOMOオールスターサッカー - 2003年8月9日 札幌ドーム J-EAST
- 2004 JOMOオールスターサッカー - 2004年7月3日 新潟スタジアム J-WEST
- 2006 JOMOオールスターサッカー - 2006年7月15日 カシマサッカースタジアム J-WEST
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個人タイトル
- フェアプレー個人賞:2回(2003年、2006年)
代表歴
指導歴
- 2014年 - 2015年 鹿島アントラーズつくばジュニアユースコーチ
- 2016年 - 鹿島アントラーズつくばジュニアユース監督
出典
関連項目
外部リンク
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