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森ノ里信義
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森ノ里 信義(もりのさと のぶよし、1924年1月31日 - 2003年2月5日[1])は、高砂部屋に所属した元力士。元年寄・尾上。本名は秋月 信義(あきづき のぶよし)(旧姓福田)。北海道茅部郡出身。173cm、81kg。最高位は東十両10枚目。得意技は諸差し、右四つ、寄り、上手投げ。
経歴
高等科を中途退学した後に父を手伝って漁業に従事した。1939年8月に周囲に勧められて宮相撲に出場すると5人抜きを果たしたので、祖父に相撲部屋の入門を勧められて高砂部屋に入門した。 1940年1月場所に初土俵。1944年5月に応召し、輜重兵として満州の第4393部隊に所属した。終戦後はハバロフスク第一収容所に捕虜として抑留され、将官収容所で将官達に相撲などの運動をさせたり世話をする役を務めた。1949年11月に復員し、1950年5月場所に三段目格で土俵へ復帰した。復帰後は日の出の勢いで番付を上げ、1952年5月場所に十両昇進。1957年3月場所に引退し、年寄・尾上を襲名したが1962年3月場所限りで廃業した。 廃業後は横浜市港北区で「信栄鍍金工業株式会社」を経営しながら日本相撲甚句会の師範を務め、全国各所で相撲甚句を指導した。
エピソード
子供の頃から歌唱や演奏が好きだったので相撲甚句がうまく、声量も非常に豊かでマイクロフォンがなかった時代に露天相撲場の外へも声が響いた程だった。レコードにも録音したが、これも好評を博した。
主な成績
- 通算成績:226勝217敗16休 勝率.510
- 十両成績:137勝152敗11休 勝率.474
- 現役在位:37場所
- 十両在位:20場所
場所別成績
改名歴
- 森ノ里 信義(もりのさと のぶよし)1940年1月場所 - 1953年1月場所
- 森ノ里 治義(もりのさと はるよし)1953年3月場所 - 1955年3月場所
- 森ノ里 信義(もりのさと のぶよし)1955年5月場所 - 1957年3月場所
年寄変遷
- 尾上 信義(おのうえ のぶよし)1957年3月 - 1962年3月
参考文献
- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
関連項目
外部リンク
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