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横須賀市立うわまち病院
神奈川県横須賀市にある医療機関 ウィキペディアから
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横須賀市立うわまち病院(よこすかしりつうわまちびょういん)は、神奈川県横須賀市にあった医療機関。横須賀市病院事業条例(昭和43年4月1日条例第16号)の規定により横須賀市が設置し、指定管理者として公益社団法人地域医療振興協会が管理した病院である。
2025年(令和7年)3月1日に横須賀市上町二丁目36番地から、「横須賀市立総合医療センター」として横須賀市神明町1番地8(久里浜神明公園敷地内)に新築移転した[1][2]。
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概要
旧国立横須賀病院の廃止に伴い移譲を受けた横須賀市が2002年7月1日に開設した。地域医療支援病院の承認を受ける。隣接地に横須賀市立看護専門学校(修業年限3年)がある。
2019年度(令和元年度)に「横須賀市新市立病院 建設基本計画」が策定され、横須賀市上町二丁目36番地から横須賀市神明町1番地8(神明公園)に移転することとなった[1]。
新病院は「横須賀市立総合医療センター」として2025年(令和7年)3月1日に開院するため[2]、横須賀市立うわまち病院での診療は同年2月27日まで(2月28日から3月3日までは緊急診療期間)となる[3]。
2025年3月の移転後、老朽化した建物が多い本館エリアの建物については解体される予定だが、南館エリアについては医療・看護系大学の進出を受け入れる方針である[4]。
沿革
- 1891年(明治24年) - 横須賀衛戍病院として創設[5](浦賀要塞砲兵第1連隊内に開院[6][注釈 1]。11月24日に要塞砲兵第1連隊が旧不入斗村(現:不入斗公園)に新築移転したのに伴い横須賀衛戍病院も不入斗村に移転[6]。
- 1892年(明治25年)3月3日 - 旧豊島町中里(現:はまゆう公園)に病舎を新築し横須賀衛戍病院は移転[6]。
- 1894年(明治27年)
- 1904年(明治37年)12月1日 - 横須賀衛戍病院を閉鎖、東京予備病院横須賀分院に改称[6]。
- 1905年(明治38年)9月 - 東京予備病院横須賀分院を廃止、横須賀衛戍病院に復帰[6]。
- 1937年(昭和11年)11月10日 - 横須賀陸軍病院と改称[5][6]。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)12月 - 走水分院閉鎖[6]。中里分院に外来診療部門を設置して一般患者の診療開始[5][注釈 2]。
- 1966年(昭和41年)3月 - 外来診療棟が竣工し、不入斗本院及び中里分院を閉鎖[5]。
- 2002年(平成14年)7月1日 - 国立横須賀病院の廃止に伴い、横須賀市が病院の移譲を受け、横須賀市立うわまち病院として開院[5]。同時に公益社団法人地域医療振興協会に管理を委託[5]。
- 2025年(令和7年)
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診療科
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- 放射線科
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- 患者支援室
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医療機関の指定等
周辺の施設
- 横須賀市立看護専門学校
- 横須賀市立豊島小学校
- 横須賀市立中央図書館
交通アクセス
注釈
脚注
関連項目
外部リンク
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