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永井篤志

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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永井 篤志(ながい あつし、1974年12月23日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手(MF)。 元サッカー選手のMF永井秀樹は実兄。

概要 永井 篤志, 名前 ...
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来歴

1992年、国見高校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会優勝、攻撃的なMFとして活躍した。

その後、駒澤大学に入学したが中退。1995年、静岡県藤枝市から福岡市に移転したJFL福岡ブルックス(現アビスパ福岡)へ入団。攻撃的なMFとして同年にリーグ優勝を果たしJリーグ昇格に貢献。JFL新人王およびベストイレブンを獲得した。しかし、チーム名が「アビスパ福岡」に改められた1996年以降、右膝の怪我で満足に活躍できなくなった。

1998年10月、サンフレッチェ広島期限付き移籍[1]。しかし、移籍直後の横浜フリューゲルス消滅発表に伴い、広島のJ1残留が決定。それにより、来期に向けて若手を中心とした出場経験の少ない選手を起用する方針が採られ、そこで台頭した選手が天皇杯でも起用されたため、その結果、永井には出場機会が全く与えられなかった。同年末、福岡、広島双方から契約を更新されず退団。その後、Jリーグ復帰を目指しアルバイトで生計を立てながら母校・国見高校で練習を積んだ。

約1年半の「浪人」生活を経て、2000年6月、モンテディオ山形に入団。ボランチとしてレギュラーの座を獲得。「山形の心臓」と称されるほどの活躍を見せ、2006年まで在籍。

2007年、ベガルタ仙台へ移籍。ここでも千葉直樹とのダブルボランチの一角としてレギュラーを掴み取る。仙台では主に守備的な中盤でプレー、独特の間合いのドリブルで突破し、単調になった時間帯にアクセントを付けるプレーを見せたが、2010年シーズン終了を以って戦力外となった。

2011年、兄秀樹が所属するFC琉球へ移籍。同年限りで退団し、現役を引退。

2013年現在はキッズスクールの指導者として活動している[2]

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エピソード

  • 2007年7月21日のモンテディオ山形vsベガルタ仙台戦(NDスタ)で0-1でベガルタが敗色濃厚だった後半42分に同点となるヘディングシュートが決まり、古巣にきつい失点を与え、引き分けに持ち込んだ。自身2度目のヘディングシュートだった。この時、ホームのモンテディオ山形サポーターは一瞬静まりかえった。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
  • Jリーグ初出場 - 1996年3月16日
  • Jリーグ初得点 - 1996年4月6日
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指導歴

  • 2013年 - 2015年 モンテディオ山形 スクールコーチ
  • 2015年 - 2016年 ラビータサッカースクールコーチ
  • 2017年 - 2018年 エストレヤ下田コーチ
  • 2019年 - 2022年 ヴィッセル神戸
    • 2019年 - 2020年 U-15コーチ
    • 2021年 - 2022年 伊丹U-15コーチ
  • 2022年 - ベガルタ仙台 ジュニア監督 (U-12)

脚注

  1. 1995年は福岡ブルックス

出典

関連項目

外部リンク

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