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永福町駅
東京都杉並区永福にある京王電鉄の駅 ウィキペディアから
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永福町駅(えいふくちょうえき)は、東京都杉並区永福二丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。井の頭北管区所属。駅番号はIN09。
歴史
- 1933年(昭和8年)8月1日:帝都電鉄の駅として開設。
- 1940年(昭和15年)5月1日:小田原急行鉄道と合併、同社帝都線の駅となる。
- 1942年(昭和17年)5月1日:小田急電鉄が東京急行電鉄(大東急)に併合。
- 1948年(昭和23年)6月1日:東急から京王帝都電鉄が分離し、同社井の頭線の駅となる。
- 1970年(昭和45年)4月1日:永福町検車区・永福町工場を富士見ヶ丘駅 - 久我山駅間へ移転、富士見ヶ丘検車区・富士見ヶ丘工場となる。
- 1971年(昭和46年)12月15日:ホームを2面4線化、急行運行開始。
- 2010年(平成22年)3月21日:2008年(平成20年)より着手していた橋上駅舎化工事の内、南口・エレベーター新設完了。
- 2011年(平成23年)3月23日:橋上駅舎化、駅ビル「京王リトナード永福町」開業。
- 2024年(令和6年)11月16日:2番線・4番線ホームにてホームドアの使用を開始[1]。
- 2025年(令和7年)7月6日:1番線・3番線ホームにてホームドアの使用を開始[2]。
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駅構造
島式ホーム2面4線を有する待避可能な地上駅。橋上駅舎を備える。
2010年(平成22年)3月21日より、それまでの地下駅舎に代わって橋上駅舎の供用を開始し、従来の北側の他に南側にも出入口が新設された。翌2011年(平成23年)3月23日には駅ビル「京王リトナード永福町」が開業した。
地上駅時代は駅舎とホーム間を連絡する通路が渋谷方に設置されていたが、階段のみで、バリアフリーに対応していなかった。しかし、現行橋上駅舎ではコンコースとホームを連絡するエスカレーターとエレベーターが吉祥寺方に、階段が渋谷方にそれぞれ設置されている他、出入口とコンコース間にもエスカレーターとエレベーターが設置された。
のりば
引込線
駅の吉祥寺寄りには、かつての永福町検車区跡地である京王バスの永福町営業所が存在する。ここには現在も引込線が併設されており、工事用機器が留置される他、井の頭線車両搬入や、廃車車両搬出の際にも活用されている。
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彫刻展示
改札前コンコースには、杉並区永福に在住していた彫刻家・佐藤忠良[3] の彫刻作品『冬の像』が展示されている。北海道の染織工芸「優佳良(ユーカラ)織」のマントを着た女性の立像で、モデルは弟子の彫刻家・笹戸千津子。杉並区が購入し、京王電鉄の協力を得て展示している[4][5]。
彫刻の後ろにはパネルが2枚設置され、1枚は永福町ゆかりの彫刻家・佐藤忠良について、もう1枚には京王資料館所蔵の昭和35年頃の駅写真と、周辺に住んだ芸術家・文化人についての解説があり、洋画家の中川一政の随筆『永福町雑記』に記された帝都電鉄開業時の様子が引用され、周辺に画家・彫刻家のアトリエが多かったことが書かれている。
国木田独歩の次男で榎本武揚の孫にあたる彫刻家の佐土哲二、俳優では千田是也、森光子、池部良とその父で画家の池部鈞、文学者では佐藤朔、中井英夫の名が挙げられており、かつての永福町駅周辺が芸術家と文化人の街であったことが紹介されている。
利用状況
要約
視点
2024年度(令和6年度)の1日平均乗降人員は30,039人である[京王 1]。急行停車駅では最も乗降客数が少ない。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は以下の通り。
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駅周辺
→「永福」も参照
駅周辺は住宅地である。線路と直交する永福通りには多くの商店がある。駅北側には京王ストアと杉並区役所永福和泉区民事務所や、行列が出来るラーメン店として有名な永福町大勝軒がある。駅南側には杉並永福郵便局がある。また、永福通りを南下すれば、徒歩17分程度 (1.3 km) で下高井戸駅へと到達する。
線路北側、ほぼ並行に井ノ頭通りがあり、西永福駅方面(吉祥寺寄り)に400m程行くと荒玉水道道路がある。
西隣の西永福駅とは700m程しか離れていない。
バス路線
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ギャラリー
- 南口(2025年2月)
- 改札口(2011年5月)
- ホーム(2011年5月21日)
- 井の頭線への新車(京王1000系第13編成)入線風景
- 旧駅舎(2008年10月)
- 駅遠景(駅舎橋上化前)
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
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