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海田智行
日本の元プロ野球選手 (1987-) ウィキペディアから
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海田 智行(かいだ ともゆき、1987年9月2日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。左投左打。
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経歴
要約
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プロ入り前
広島県立賀茂高等学校時代は、エースとなった2年時の秋季中国地区高等学校野球大会出場を果たす。3年時の夏は、広島県予選ベスト8で敗退。
高校卒業後は駒澤大学に進学。野球部では1年時の春からリーグ戦に登板。秋には、増井浩俊に次ぐ2番手投手として2勝を挙げ、リーグ2位となる防御率2.01の好成績を残す。2年時からエースとなり、春は13試合中10試合に登板し5勝を挙げた。リーグ戦後、第36回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、左の中継ぎとして登板し優勝に貢献した。しかし、2年時の秋から3年時の春は調子を落とし未勝利に終わり、チームも2部降格となった。その後は、1部昇格は出来なかったが自身は2部3季で10勝を挙げた。1部リーグ通算は30試合、7勝9敗、防御率3.09。
大学卒業後は、日本生命に入社。日本生命野球部1年目の2010年は、春から公式戦に登板。第81回都市対抗野球大会の阪和地区2次予選では、先発・中継ぎとフル回転し6試合に登板し、代表権獲得に貢献した。翌2011年、10月27日の第82回都市対抗野球大会2回戦の東芝戦では、9回2死で降板し完投を逃すも安達了一擁する打線を1失点に抑え勝利を収めた[1]。数時間後に行なわれたプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから4位指名を受けた。
オリックス時代

2012年は川端崇義と共に開幕一軍入りを果たす。開幕3戦目でプロ初登板を果たすも、初対戦打者の松中信彦に四球を与えただけで降板し、4月6日に登録抹消。同月17日に再登録されると、ビハインド・敗戦処理の場面で登板機会を得た。9月に入ると先発機会が得られ、同月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、自身の25歳の誕生日にプロ初先発を務めて田中将大と投げ合い、7回無失点の好投をするも白星がつかず、その後4試合でも先発したが全て敗戦投手となった。リリーフ26試合で防御率2.12であったのに対し、先発では5試合で防御率4.43であった。
2013年は、シーズン3試合目の先発となった4月17日の埼玉西武ライオンズ戦で6回を1失点に抑え、プロ入り初勝利を挙げた[2]。7月4日の西武戦で5敗目を喫してからは中継ぎに回され、ロングリリーフとワンポイントとして起用された。中継ぎでは防御率1点台を記録した。対右打者の被打率は.339であった。
2014年は19試合の登板で1敗、防御率7.58であった。
2015年は、自己最高の48試合に登板し防御率2.61、10HPをマークした。
2016年も自己最高の50試合に登板し、15HPをマークした。防御率は2.78と2年連続して2点台を記録した。
2017年3月16日、4歳年下の一般女性と結婚。シーズンでは12試合の登板に留まり0勝1敗の防御率5.91、8月末には横左肘の関節遊離体除去とクリーニング手術を受けた。900万円減の年俸2,750万円でサイン。
2018年は手術の影響からかわずか4試合の登板、防御率13.50の成績でシーズンを終えた。
2019年は自己最多の55試合に登板しセットアッパーとして防御率1.84、22HPをマーク、去年の年俸のほぼ倍増となる2050万円増の年俸4,150万円でサインした[3]。
2020年は前年とは一転してわずか6試合登板、0勝1敗2ホールド、防御率14.54に終わり、減額制限を超える47%ダウンの年俸2,200万円(推定)で契約を更改した[4]。
2021年は16試合の登板ながら防御率2.61で、9月以降激しい優勝争いを繰り広げていたチームをブルペンから支えた[5]。

2022年はシーズンを通して一軍での登板なく、10月5日に戦力外通告を受けた。11月8日に行われた12球団合同トライアウトに参加したが、阪神タイガースから打撃投手としての打診があったほかはオファーはなく、引退を決断した。戦力外通告から現役引退までの様子は、12月27日にTBS系列で放送された『プロ野球戦力外通告2022』で紹介された[6]。
現役引退後
引退後はキャンプ用品の販売とオーセンティックバーの開店に向け、準備を進めているほか、アマチュア野球の指導者としても活動していく予定[7]。日本生命の先輩でもあるオリックスのコーチ・下山真二からの紹介で、社会人クラブチームを中心に、小学部や中等部など少年野球も運営している関メディベースボール学院のコーチに就任[8][9]。中等部を担当し、2023年1月14日よりチームに合流して指導を行っている[8][9]。それと同時にオリックスOBとして、J SPORTSの野球解説者としても活動した。
2023年6月20日、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)に新たに加盟が認められて2024年度よりリーグ戦に参加する姫路イーグレッターズの監督に就任することが発表された[10]。
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選手としての特徴・人物
オーバースローから最速146km/hのストレートと武器のカットボールを始めスライダー・カーブなどの多彩な変化球とのコンビネーションを駆使する[11]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
記録
- 初記録
- 初登板:2012年4月1日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回裏に2番手で救援登板、1与四球1失点
- 初奪三振:2012年4月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、6回裏に聖澤諒から空振り三振
- 初ホールド:2012年8月2日、対埼玉西武ライオンズ13回戦(上毛新聞敷島球場)、10回裏に4番手で救援登板、2/3回無失点
- 初先発登板:2012年9月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス19回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回無失点で勝敗つかず
- 初勝利・初先発勝利:2013年4月17日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(西武ドーム)、6回1失点
背番号
- 47(2012年 - 2022年、2024年 - )
登場曲
- 「Japanese Soul Brothers」三代目J Soul Brothers(2012年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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