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清水和夫
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清水 和夫(しみず かずお、1954年2月11日 - )は、日本のレーシングドライバー、モータージャーナリスト。日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本自動車研究所・客員研究員。東海大学講師。父親は実業家で日本テレビ放送網第2代代表取締役社長の清水与七郎。
経歴


東京都生まれ。武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部電子通信工学科卒業。血液型はO型。既婚。
免許を取得後にGC10型日産・スカイラインを購入し、山や高速を走り込んだ。学生時代の1972年(昭和47年)からTE27系トヨタ・カローラレビンや三菱・ランサーなどでラリーに参戦し、資金がつきかけた頃にスバルのワークスドライバーとなった[1]。
サーキットでも活動し、1988年のF1日本グランプリのサポートレースのシビックチャレンジカップで優勝している。全日本ツーリングカー選手権(JTC)やスーパー耐久(N1耐久)等にもフォード・シエラや日産・スカイラインGT-Rで参戦しており、N1耐久シリーズではチャンピオンを獲得。ツーリングカーでも影山正彦やトム・クリステンセンとコンビを組んで参戦し、優勝も記録している[2]。海外のレースにも積極的に参戦していて、ル・マン24時間レースやスパ・フランコルシャン24時間レースにも参戦した経験がある[3]。
現在はTGRラリーチャレンジで、チーム『頑固一徹CVT』を立ち上げ、CVT(無段変速機)のトヨタ・ヴィッツで参戦している。
自宅には家庭用燃料電池を設置している。2006年(平成18年)、自らが発起人となり、自動車に関する提言を行う特定非営利活動法人「モビリティ21」を発足させた[4]。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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人物
- 上述の通りJTCでは初来日で、後にル・マンを史上最多の9度制覇を果たしたトム・クリステンセンとのコンビを組んだが、彼は後年のインタビューで清水について「冷静沈着で、人間的にも落ち着きがあって、一緒に組めてとても快適だった」「エンジニアリング面の理解が高く、それでいてとてもオープンで、すべての情報を私に伝えてくれた」「英語が達者で、言葉の問題は無かった」と高く評価している[5]。
- 自動車セルビデオ「ベストモータリング」にキャスターとしてレギュラー出演していた際、メイン企画であるサーキットバトルに於いて他のキャスターに対してウインドウウォッシャーで目潰ししたり、コース外を走り土煙をまき上げる等していた事から「極悪しみちゃん」とあだ名がついた。
レース戦績
全日本ツーリングカー選手権(JTC)
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
ル・マン24時間レース
スパ・フランコルシャン24時間レース
主な寄稿先
著書
出典
外部リンク
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