トップQs
タイムライン
チャット
視点
澤﨑俊和
ウィキペディアから
Remove ads
澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。
Remove ads
経歴
要約
視点

東京都足立区で生まれ、後に千葉へ転居する[1]。小学2年で野球を始め、千葉市立みつわ台中学校3年の時に北千葉大会で優勝する[1]。志学館高等学校(現:志学館高等部)では2年秋からエースになるが3年夏は県大会4回戦で敗退し甲子園出場ならず[1]。プロ入りを拒否して青山学院大学へ進み、同期の清水将海とバッテリーを組んで3年秋にリーグ戦5勝を挙げて優勝に貢献、明治神宮大会では準決勝で近畿大学を相手に完封[2]。4年春のリーグ戦で7勝を挙げてMVPと最優秀投手に選ばれ、大学選手権では準決勝で東北福祉大学を相手に12奪三振の完投、決勝では先発した同期の倉野信次を序盤で救援すると、やはり同期の主将・井口忠仁が2本塁打を放って優勝[3]。日米大学野球代表に選出される。1996年の全日本アマチュア野球王座決定戦(現在は廃止)でも住友金属を下し、アマチュアNo1投手となった[1]。東都大学リーグ通算45試合登板、18勝9敗 防御率2.09 204奪三振。最優秀投手2回(3年秋、4年春)、ベストナイン2回(3年秋、4年春)。1学年先輩に川越英隆、坪井智哉がいた。
1996年度ドラフト会議にて広島東洋カープから1位指名(逆指名)を受け、入団[1]。1位指名が澤﨑で2位指名が黒田博樹だった。抜群のコントロールとスライダーを武器にしていた。
1999年シーズンには、ストッパーとして14セーブを挙げる。
2000年シーズン・2001年シーズンと右肘を故障に見舞われる。
2003年シーズン・2004年シーズンは中継ぎで40試合近く登板した。
2005年シーズンには再び故障。
同年のシーズン終了後、故障が元で自由契約となり、そのまま現役を引退。
同年のシーズンオフに現役を引退した小林幹英とともに翌年の2006年シーズンには投手コーチに就任。初年度は三軍コーチだったものの、清川栄治の退団に伴い2007年シーズンからは一軍投手コーチを担当。2007年3月5日に広島市民球場で行われた紅白戦で、先発した小山田保裕の後、他に投げる予定の投手がいなかったことから、コーチでありながら紅白戦で登板し、1回を被安打1無失点に抑える。本人曰く「冗談だと思っていた。誰も投球練習していないので『ほんとにオレかよ』とびっくりした。何とかストライクを入れようと集中していた」とのこと。また、2006年4月からは広島エフエムのDO THE CARPという番組に出演。また、同期入団で黒田より一軍定着が早かったが、今では黒田を「一番尊敬する投手ですね」と褒め称えた。
2009年シーズンからは再び三軍投手コーチに戻る。
2011年シーズンからは二軍投手コーチを担当。
2020年シーズンは、13年ぶりとなる一軍投手コーチを担当。
2021年シーズンは3度目となる三軍のコーチを務め、シーズン終了後の11月3日に退団が発表された[4]。
2022年1月7日、日本海オセアンリーグの滋賀GOブラックスで投手コーチに就任することが発表された[5]。チームは同年シーズン終了後の12月に1年間の活動休止を発表した[6]。
2023年1月10日、滋賀からの退団が正式に発表された[7]。その翌日の1月11日、ベイサイドリーグ(日本海オセアンリーグが改称)に今シーズンより加入するYKSホワイトキングスの監督に就任することが発表された[8]。その傍らTBSテレビ(TBSチャンネル)の横浜DeNAベイスターズ主催試合(主に対広島戦)などに野球解説者として本数契約で出演する。2023年のベイサイドリーグシーズン終了後の10月3日、同シーズン限りでの監督退任が発表された[9]。
2024年1月11日、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の群馬ダイヤモンドペガサスで投手コーチに就任することが発表された[10]。1シーズン務め、シーズン終了後の10月4日に退任が発表された[11]。
Remove ads
選手としての特徴
一軍投手コーチとして1年目の澤﨑の活躍に立ち合った川端順は澤﨑について「練習熱心な選手。ブルペンで体力を使い切らないように (当時は当たり前に行われていた) 週に2、3度行うブルペンでの調整を免除したほど」と振り返っている[13]。
2年目は不調に陥り、3年目に川端が「責任感が強く、チームの為に投げられる選手」という理由でクローザーに配置転換を行なった。クローザーは通常7回から準備を始めるが、澤﨑はどれだけ点差があっても5回からブルペンに入る真面目さだった。
川端は澤﨑について「酷使したのは我々の責任かもしれない。しかし、あれだけの練習が彼を作り上げたのは間違いない」と評している。
詳細情報
年度別投手成績
表彰
- 新人王(1997年)
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:1997年4月6日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)、8回表に3番手で救援登板・完了、2回1失点
- 初奪三振:同上、9回表に関川浩一を見逃し三振
- 初勝利:1997年4月10日、対ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、9回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初先発登板:1997年4月20日、対中日ドラゴンズ2回戦(長良川球場)、6回3失点
- 初先発勝利:1997年4月26日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、5回0/3を3失点
- 初完投勝利:1997年7月9日、対ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮野球場)、9回2失点
- 初完封勝利:1997年10月7日、対横浜ベイスターズ26回戦(広島市民球場)
- 初セーブ:1999年5月30日、対横浜ベイスターズ10回戦(広島市民球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:1997年4月26日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、2回表に岡島秀樹から右前適時打
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回(1997年)
背番号
- 14(1997年 - 2005年)
- 87(2006年 - 2021年、2024年)
- 88(2022年)
- 89(2023年)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads