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清水将海
日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから
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清水 将海(しみず まさうみ、1975年1月9日 - )は、群馬県高崎市出身[1]の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。
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経歴
要約
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プロ入り前
小学生の時に正観寺町子供会のソフトボールを始め、小学5年から2年連続で投手として関東大会に出場[1]。中学から野球部に所属した[1]。
東農大二高2年から捕手となり、3年時、第64回選抜高等学校野球大会に出場したが、初戦で佐賀商の前に敗退した[1]。
大学は東都大学リーグに所属する青山学院大学に進学 [1]。1部リーグ通算77試合に出場、269打数65安打、5本塁打、30打点。ベストナイン受賞2回。
1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団[1]。当時の背番号は8(当初、大学時代と同じ背番号22となる予定であったが、定詰雅彦の阪神タイガースへの移籍で空き番となった8へ変更された)。なお、この時点では8番は一時的に「ミスター・ロッテ」(過去の山内和弘や有藤通世、後年の今江敏晃、中村奨吾)としての球団の象徴的な扱いとなっていなかった[2]。
ロッテ時代
1997年は前年の正捕手田村藤夫と二番手捕手の定詰雅彦が相次いで移籍したため、キャンプ・オープン戦と率先的に起用され、4月5日の開幕戦では新人ながら小宮山悟とバッテリーを組み完封勝利を挙げ、打ってはプロ初本塁打を放つなど、最高のデビューを飾る。しかし第2戦の第1打席で頭部に死球を受け救急搬送されるなど相手投手から厳しいマークに遭うなどし、翌日からは安打が出ず、打率も0割台となったところで、吉鶴憲治と併用されるようになった。
2001年には、吉鶴・橋本将・椎木匠らとの争いに勝利し、正捕手に定着した。
2002年の日米野球に小林雅英と共に出場、3打数3安打と活躍した。シーズンオフには、背番号を27に変更した[2]。
中日時代
移籍初年度の2005年はプロ入り初の一軍出場なしに終わった。
翌2006年に背番号を中村武志の着用していた39へ変更。移籍後初の一軍出場を果たし、日本シリーズの出場資格者にも選ばれた。
2007年は開幕一軍入りを果たし、移籍後初スタメンを果たすなど力は戻ってきており、谷繁元信・小田幸平に次ぐ第三の捕手としてではあるものの一軍に留まった。シーズン終盤には一軍登録を抹消されたが、前年同様日本シリーズの出場資格者にも選ばれ、同年のアジアシリーズにも出場した。
2008年は開幕直前に右手親指を骨折する怪我により出遅れる。その後復帰し、第一捕手の谷繁、第二捕手の小田の相次いだ怪我により出場機会を増やし、足も早いので代走としても起用されたが、8月終盤に登録抹消され前年よりも出場試合数は減少。同年、国内FA権を獲得した。
2009年は春季キャンプ、オープン戦も一軍に帯同するも開幕は二軍スタート。その後、谷繁が故障したため一軍登録されるが、小田や北海道日本ハムファイターズから移籍してきた小山桂司がマスクを被ることが多く、小川将俊に代わるように再び二軍に降格し、結局4月9日の1試合のみの出場に終わった。
ソフトバンク時代
2010年6月25日、三瀬幸司との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。背番号は4に決定。同年は中日、ソフトバンクで1試合ずつの出場に終わった。
2011年は山崎勝己とFAで埼玉西武ライオンズから移籍してきた細川亨らの存在もあり、わずか3試合の出場に終わった。10月7日に当シーズン限りでの現役引退を発表。
引退後
引退後はソフトバンクのコーチに就任。背番号はプロ入り時の背番号「8」と現役引退時の背番号「4」を足した84。2012年からは二軍バッテリーコーチ、2014年からは三軍バッテリーコーチ、2016年からは一軍バッテリーコーチを務め、2017年のパ・リーグ優勝、日本一に貢献[3]。同年限りで退団した。ソフトバンクコーチ時代は甲斐拓也を育てた[4]。
11月21日、2018年より、青山学院大学時代の同級生である井口資仁が監督に就任したばかりの、古巣・ロッテの一軍バッテリーコーチに就任することが発表された。背番号はソフトバンクのコーチ時代と同じく84[5]。ロッテコーチ時代は高卒新人の松川虎生を育て上げた[6][4]、契約満了で2022年に退団した[7][8]。
2023年はソフトバンクに復帰し、新たに設立された四軍のバッテリーコーチを担当[9]。2024年からは二軍バッテリーコーチを務める[10]。2024年12月、レギュラー捕手であった甲斐拓也の移籍による捕手の育成環境の変化に伴い、11月8日に三軍バッテリーコーチとしてホークスに復帰していた細川亨と役職をスイッチする形で、12月19日に三軍バッテリーコーチに就任した[11]。
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選手としての特徴・人物
強肩・堅守が武器の捕手[12]。
愛称は「ウミ」[13]。
ルーキー時代の1997年、写真週刊誌に青山学院大学在学中に学生結婚していたことをスクープされたことがある[1]。また、同年8月8日には長女が誕生し、記者会見で「8月8日という自分の背番号にちなんだ日に産まれてくれて、8が自分のラッキーナンバーと実感した。」と語った。
中日在籍時代の2010年から群馬県観光特使を務めている。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:1997年4月5日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、「9番・捕手」として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:同上、7回表に関根裕之から左越ソロ
- 初盗塁:1998年7月26日、対オリックス・ブルーウェーブ17回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回表に二盗(投手:小林宏、捕手:三輪隆)
- その他の記録
- 新人の開幕戦本塁打 ※史上12人目[14]
背番号
- 22(入団発表時のみ)
- 8(1997年 - 2002年)[注 1]
- 27(2003年 - 2004年)
- 50(2005年)
- 39(2006年 - 2010年6月24日)
- 4(2010年6月25日 - 2011年)
- 84(2012年 - 2022年)
- 016(2023年)
- 83(2024年 - )
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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