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瀬口良夫
日本の海上保安官 ウィキペディアから
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瀬口 良夫(せぐち よしお、1964年〈昭和39年〉1月28日[1] - )は、日本の海上保安官。
来歴
愛知県出身[1]。刈谷高3年時の1981年には夏の高校野球愛知大会で工藤公康を擁する愛工大名電高(当時・名古屋電気高)と投手として準決勝で対戦し、惜敗している[7][8]。1982年に海上保安大学校学生として海上保安庁に入庁、1986年卒業[1]後は、2012年4月警備救難部警備情報課警備情報調整官[9]、2013年4月対馬海上保安部長[10]、2014年4月第五管区海上保安本部警備救難部長[11]、2015年4月総務部政務課政策評価広報室長[12]、2016年4月警備救難部管理課長[13][14]、2018年4月第十管区海上保安本部次長[15]などを歴任。東日本大震災の発災に際しては、第八管区海上保安本部(舞鶴市)の警備救難部次長の職にあったが、被災地で支援活動にもあたった[16]。
2020年(令和2年)4月1日、第九管区海上保安本部長に就任[17][18]。
2021年(令和3年)10月1日、海上保安監に就任[5][6]。
2022年(令和4年)6月28日、海上保安庁次長に就任[3][4]。2024年(令和6年)1月2日に羽田空港地上衝突事故が発生したことを受け、次長として記者会見に出席[21]。その中で「かけがえのない職員の命を失ったことは痛恨の極み。故人のご冥福を心よりお祈りするとともに、ご遺族にも心よりお悔やみ申し上げます」と述べたうえで事故の原因究明に意欲を示した[21]。
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脚注
参考文献
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