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瀬戸カトリーヌ

日本の女優、タレント ウィキペディアから

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瀬戸 カトリーヌ(せと かとりーぬ、1976年1月5日 - )は、日本女優タレント。愛称は、カトちゃんたかの世界遺産検定1級取得。母親が元吉本新喜劇の女優である。 ノックアウト所属。

概要 せと かとりーぬ 瀬戸 カトリーヌ, 別名義 ...

人物・来歴

要約
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父親がフランス人パティシエパン職人)で母親が日本人(元吉本新喜劇に在籍していた安田密子)のハーフ。パリで出生後、3歳で来日。当初は母の郷里香川県高松市で生活していたが[1][要出典]、早期に父の仕事のために兵庫県神戸市へ転居。日本とりわけ関西圏での生活が長かったことが(話し言葉としての)関西弁常用、宝塚歌劇団OSK日本歌劇団などの関西舞台芸能との接点が人生の進路を決定付けた。

父はかつて神戸市須磨区山陽電鉄月見山駅南西の商店街(現在は都市計画道路中央幹線の整備・開通のため商店街は存在しない)にパン店「カトリーヌ」を開業。地元住民や近隣の学生からも利用されていたが1995年1月17日阪神・淡路大震災で店舗は全壊し神戸市中央区元町商店街に移転した(現在は閉店)。「フランス人が作るパンとケーキの店カトリーヌ」という看板が掲げてあった。

神戸常盤女子高等学校に在学中、宝塚とOSKの入団試験を受け、1993年にOSKの団員養成学校である日本歌劇学校に合格し入学。同期に朝香櫻子がいる。ちなみに芸名は、自身のファーストネームと母が四国出身だったので瀬戸内海にちなんでつけたとのこと。

2年後の1995年3月の初舞台に向けて諸芸の稽古に努めていたが、一家全員が阪神・淡路大震災被災。全員一命を取り留めるも実家のパン店は全壊。人手及び経済的にも最小限で切り盛りしていたこともあり家業の再建を目指すべく、OSK初舞台の初日付をもって舞台に立つことなく退団。このエピソードは女性週刊誌でも紹介され多くの読者から浅からぬ同情や声援を集めた。またこの体験から震災関連の講演会・シンポジウムにも多数出演している。

退団当初は家族とパン屋再建のために奮闘していたが、日本歌劇学校時代からのダンスの才能と関西弁の陽気な喋りの才能がマナセプロに着目され、家族を神戸に残しひとり上京しデビューする。1997年より芸能活動を開始、翌年から本格的に活動を開始する。その喋りぶりや物怖じしない言動を生かしテレビではリポーターなどバラエティ番組を中心に活動する一方で、舞台でも得意のダンスを生かしミュージカル軽演劇ジャンルをメインに芸能活動を続ける。役者の仕事のオファーがなかなか来なかったときに三谷幸喜から声を掛けられ、以後三谷の作演出の演劇に出演することがある。その後母の吉本再デビューなどもあり、父一人でパン屋を切り盛りしていたが現在は店をたたみ、関西のさる料理・製菓の専門学校に講師として招かれ後進世代の指導を行っていることを明かした。

2006年8月、3歳年下のビジネスマンの日本人男性(仕事の都合上カナダ在住)と結婚していたことと結婚後も仕事を継続することを発表。

2009年8月、離婚を発表。同年10月『連続人形活劇 新・三銃士』で声優に初挑戦。マナセプロダクションに所属していたが2009年末契約終了。

2017年2月11日放送のTBS日立 世界・ふしぎ発見!』で「瀬戸たかの」へ改名を発表[2]

2018年6月1日より ノックアウトに所属「瀬戸カトリーヌ」へ改名[3]

2019年1月 世界遺産検定1級 取得[4]

2022年4月 声優能力検定2級 取得[5]

2022年10月 新国立劇場開場25周年記念公演「レオポルトシュタット」にて、オーディションにより主要キャストのローザ役に選出[6]

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出演

テレビドラマ

映画

人形劇

ラジオ

バラエティほか

舞台

その他

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脚注

外部リンク

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