トップQs
タイムライン
チャット
視点

瀬戸春樹

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

瀬戸 春樹(せと はるき、1978年3月14日 - )は、富山県出身の元サッカー選手、現在はサッカークラブにてU15やU13監督として活躍。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー。

概要 瀬戸 春樹, 名前 ...
Remove ads

来歴

水橋高校ではフォワードとして活躍。同期の富山第一高校柳沢敦とは全国高校サッカー選手権富山県大会の決勝でも対戦している。1年生の時から3年生までレギュラーとして国体に3回出場。

高校卒業後、横浜フリューゲルスへ入団し、豊富な運動量を評価されボランチへとコンバートされた。1998年にはシドニーオリンピック代表候補にも選ばれた。

フリューゲルス吸収合併後の横浜F・マリノスには加入せず、当時J2所属だったアルビレックス新潟へ移籍。

2000年、より高いレベルでのプレーを望み大分トリニータに完全移籍。2001年より岡田武史監督の目にとまりコンサドーレ札幌に期限付き移籍[1]、契約期限満了後の7月よりガンバ大阪に期限付き移籍[1][2]。大分に復帰した2002年には数多くのポジションをこなしJ1昇格に大きく貢献した。その年、CM、時代劇、グラビアなどで活躍したタレントの日置由香と結婚2004年JOMOオールスターサッカーにも出場した[3]

2005年、イビチャ・オシム監督率いるジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍[4]、チーム初のナビスコカップ優勝を果たした。2006年恩師石崎信弘監督の下柏レイソルにレンタル移籍[5]、レギュラーをつかむも怪我で半年間プレー出来ず2007年には故郷のチームであるYKK APに所属し[6]、地元のチューリップテレビと契約、富山県からJリーグを目指しサッカー教室(スポ天)PASSIONで地元のサッカーを盛り上げた。

ところが、楚輪博監督とサッカーの戦術で衝突。3年契約の1年で移籍を決意[要出典]。自らシンガポールでトライアウトを受け外国人枠を勝ち取り、2008年からはシンガポールのバレスティア・カルサに移籍[7]。バレスティア・カルサでは加入1年目ながらキャプテンを務めた。シンガポールの中でもACL,AFCに出場を目指し2009年よりゲイラン・ユナイテッドFCに移籍、リーグ戦、カップ戦全てに出場。シンガポールカップ優勝に大きく貢献、またその年シンガポールの外国人選抜にも選ばれ実力を高く評価され、2010年インドネシアスーパーリーガ・強豪ペルシワ、ワメナからのオファーを断り自分の最後の目標であるアメリカ・メジャーリーグサッカーに挑戦。プレシーズンまで参加するも契約に至らず現役引退を決意[要出典]

2020年より、関東1部リーグ所属・ブリオベッカ浦安のU-15監督に就任。

Remove ads

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

出典

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads