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猪久保吾一
日本のプロ野球選手 (1967-) ウィキペディアから
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猪久保 吾一(いのくぼ ごいち、1967年12月26日 - )は、岩手県[1]出身の元プロ野球選手(捕手)。
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来歴・人物
盛岡商業高では高校1年秋から捕手として活躍し、山蔭徳法(のちに日本ハム入り)とバッテリーを組んでいた[1]。
高校卒業後は、社会人野球の本田技研鈴鹿に進むが、実家の家業を手伝うために1987年7月に退団。しかし、ロッテオリオンズのスカウトから声がかかり、同年12月に練習生となり、1988年オフにドラフト外で入団[1]。
入団2年目春季キャンプにて1軍合流、この年42試合に出場した。その後は青柳進や福沢洋一と正捕手争いをするが、決め手に欠け2軍生活が続く。1996年には自分の名前にちなんで背番号を51番にするが1軍出場はなく同年限りで現役を引退[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
- 初出場:1990年4月10日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、7回裏に捕手として出場
- 初先発出場:1990年4月26日、対福岡ダイエーホークス3回戦(川崎球場)、8番・捕手として先発出場
- 初安打:同上、6回裏に山内孝徳から単打
- 初本塁打・初打点:1990年5月11日、対日本ハムファイターズ4回戦(川崎球場)、3回裏に島田直也から2ラン
背番号
- 68 (1988年 - 1995年)
- 51 (1996年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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