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田中俊行 (怪談師)

日本の男性イラストレーター、作家、YouTuber ウィキペディアから

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田中 俊行(たなか としゆき、1978年昭和53年9月30日[34] - )は、日本の男性イラストレーター[35][36]作家[37]YouTuber[38]

概要 たなか としゆき 田中 俊行, 生誕 ...
概要 田中俊行チャンネル『トシが行く』, 公式サイト ...
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概要

愛称は「トシ[39]兵庫県神戸市灘区出身[2][3]。独身[40]

オカルトや怪談収集が好きで、怪談師、呪物研究家としても活動しており、「怪談グランプリ」優勝、「怪談最恐戦」優勝、「怪談王」優勝などの実績を持つ[3]

YouTubeチャンネル「不思議大百科」の元メンバー[41]

経歴

要約
視点

兵庫県神戸市灘区に生まれる[2][3]。実家は一戸建てで、大石駅近くにあり、それとは別で駅前には父が所有し経営している魚屋の建物がある(魚屋の建物は後に解体された)[42][43][44][45]

神戸市立西郷小学校神戸市立烏帽子中学校では野球部に所属しており、ポジションは二塁手で、バントも得意だったため、打順は2番だった[46][47][48]。また、剣道もやっていた[49]

中学2年生の時に、交通量の多い交差点を赤信号で横断しようとし、交通事故にあう。九死に一生を得たが、一時的に記憶喪失になる。医師に、脳細胞がかなり死んだと伝えられたという[47]

神戸村野工業高校(現:彩星工科高等学校)の普通科に進学し、その後、卒業する[50]

京都美大を受験することにするが、受験当日、寝坊したため、試験をほとんど受けられず不合格となる[47]

高校卒業後、インドへ行き、3ヶ月ほど旅をしていた[47][51]

帰国後は2年間無職だったが、その後、友人の紹介でBEAMSでバイトとして働いた[47][52][53]

1年間働いたBEAMSのバイトを辞めた後はデザイナーのアシスタント(イラストレーター)のバイトを不定期でやっていた。保険会社でも不定期でバイトを始めた[54][55][56]阪神甲子園球場でビールの売り子のバイトも1度やったがビールを殆ど売ることができなかったため、すぐに辞めたという[57]。その他にも一時期、お見合いパーティーの受付のバイトもやっていた[58]

20代後半の時に「がもん鉄」の名前で友人と共にポッドキャスト怪談を語っていた[59]

2013年、「稲川淳二怪談グランプリ」に初出場し、初優勝した[14]。そこから不定期で怪談ライブのバイトを始めた[60]

2014年、「稲川淳二の怪談グランプリ」に出場し、最終結果は3位だった[61]

2016年、"最恐"怪談師決定戦「怪談王」に初出場し、初優勝した[62]

2017年、"最恐"怪談師決定戦「怪談王」に出場したが、敗退した[63]

2018年6月、「OKOWA チャンピオンシップ」に初出場したが、1回戦で匠平に敗れた[64]。7月、「稲川淳二の怪談グランプリ」に出場し、決勝戦に進むも島田秀平に敗れ、準優勝だった[65]。8月、“最恐”怪談師決定戦「怪談王」に出場したが敗退した[66]。11月、「怪談最恐戦」に初出場し、決勝大会(ベスト10)に進出するも準決勝に進出できず敗退[67]。12月、「OKOWA タイトルマッチ挑戦者決定戦」に出場し、勝ち上がり、OKOWAチャンピオンの三木大雲と対戦したが敗れ、準優勝で終えた[68]

2019年7月、「OKOWA チャンピオンシップ」に出場するも1回戦で竹内義和に敗れた[69]。8月、「稲川淳二の怪談グランプリ」に出場し、最終結果は3位だった[70]

2020年1月、「怪談最恐戦」に出場し、準決勝に進出するも壱夜に敗れ、ベスト4で終えた[71]。6月、「OKOWA タイトルマッチ挑戦者決定戦」に出場し、勝ち上がり、OKOWAチャンピオンの中山功太と対戦したが敗れ、準優勝で終えた[72]。8月、映画「事故物件 恐い間取り」に出演した。これが自身初の映画出演となった[73]。11月、「怪談最恐戦」に出場し、決勝に進出したが、夜馬裕に敗れ、準優勝で終えた[74]

2021年東京深川のアパートに移住し、神戸で不定期で働いていたデザイナーアシスタントのバイトと保険会社でのバイトを辞める[47]。アパートの家賃は3万3000円で、2部屋、風呂なし、共同トイレとなっている[42]。8月、下駄華緒と共にYouTubeチャンネル「不思議大百科」のメンバーになり、YouTuberとしての活動も開始[41]。9月、「怪談最恐戦」に出場し、決勝で吉田猛々と対戦し勝利。初優勝した[75]。同月、フジテレビの「全力!脱力タイムズ」に出演。これが自身初の地上波放送のバラエティ番組出演となった[76]。12月、肺炎で緊急入院した。その後、回復し退院した[77]

2022年4月、YouTubeチャンネル「田中俊行チャンネル『トシが行く』」を開設[78]。5月、東京のBnA_WALLで自身初の展示会「祝祭の呪物展」を早瀬康広と共に開催した[79]。10月、著書「怖い部屋の話 ゾッとする間取りと事故物件」で作家としても活動を開始[80]

2023年4月、コヤッキースタジオが開催した「シンジラレナイハナシ」に参加したが、早瀬康広に敗れ、「MVT(Most Variable 都市伝説)」獲得とはならなかった[81]。5月に大阪ASITA_ROOMで、6月には東京の澁谷藝術で展示会「祝祭の呪物展2」を早瀬と共に開催した[82]。10月、2023年の怪談最恐戦の司会を務めた[83]。12月、神奈川のマルイシティ横浜で、展示会「都市伝説展~みんなのオカルト50年史~」の制作陣に加わり、自身の呪物も出展した[84]

2024年5月、大阪のASITA_ROOMで展示会「祝祭の呪物展 2024」を開催した[85]。6月、「不思議大百科」から脱退した[86]。7月、東京のTOWER GALLERYで展示会「祝祭の呪物展 2024」を開催した[85]。8月、東京の秋葉原の書泉ブックタワーで展示会「呪物書店」を開催した[87]。同月、北海道札幌PARCOで展示会「祝祭の呪物展SAPPORO」を開催した[88]。同月、東京の池袋サンシャインシティで開催された「都市伝説展2024」の制作陣に加わり、自身の呪物も出展した[89]

2025年3月、東京の有楽町マルイで開催された「クレイジージャーニー展」に自身の呪物を出展した[90]。4月、「T-1グランプリ」に初出場するも初戦で敗退した[91]。7月、大阪の心斎橋PARCOで展示会「祝祭の呪物室」を開催[92]。同月、広島広島PARCOで展示会「ゾッ展~実話怪談とその物証~」を開催した[93]。8月、長崎佐世保市博物館島瀬美術センターで開催された「都市伝説展2025」の制作陣に加わり、自身の呪物も出展した[94]。9月、東京のメイヒル新中野で展示会「コワイモノ展」に自身の呪物を出展した[95]

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成績

優勝

その他の順位

  • 稲川淳二の怪談グランプリ 準優勝:1回(2018年)[98]
  • 怪談最恐戦 準優勝:1回(2020年)[99]
  • OKOWA 準優勝:2回(2018年、2020年)[100][101]
  • 稲川淳二の怪談グランプリ 3位:2回(2014年、2019年)[102][103]
  • 怪談最恐戦 ベスト4:1回(2019年)[104]
  • T-1グランプリ 初戦敗退:1回(2025年)[105]

人物

要約
視点

子供のころから、画塾に通っていた[47]

幼少期に、週末に母親がレンタルビデオ屋で稲川淳二ゾンビのビデオをいつも借りてきていたことが、怪談に興味を持ったきっかけだった[47]

田中の母親は、よく田中を連れて、神戸の新興宗教施設に行き、教祖の女性に相談事をしていた[106]。ただ、その後、田中の父が教祖と揉めたため、田中家全員がその新興宗教団体から出禁にされている[107]

幼少期は常に外を走り回っているような、かなり活発な子で、リーダーシップを発揮している子供だった。また、物心がついた頃から小学4年生くらいまで、犬に憑りつかれる経験をしており、体長を崩した時だけ、自分の家で飼っていた犬ではなく、他の家の飼い犬が身体の中に入ってきて、少しずつ自身の自我が失われていき、最終的に犬が勝って、自分が犬の人格になってしまい、行動が犬そのものになってしまうという。その当時のことを田中は「僕の身体は犬のような行動を取るようになって、僕の自我はその様子を俯瞰で見ているんですよ。僕を乗っ取った犬の記憶も頭の中に入ってきて。犬としては別の家にいるわけですから、パニックになって家族を襲うんです。そんなことが少なくとも4回はありました」と語り、家族の反応はドン引きだったという。その後、母親がインディーズの霊媒師を見つけ、お祓いをしてもらうと犬に憑りつかれることはなくなった。[108]

中学生の時に交通事故に遭い、意識を失って救急搬送された。意識を取り戻してから1週間くらい自分の名前も住所もわからない状態で、一時的に記憶喪失になってしまった。1ヶ月後に退院し、記憶も戻ったが、それから今に至る30年近く、頭のなかに霧がかかったようにボーッとして意欲が湧かない状態が続いており、活発だった性格もガラリと変わってしまったという。田中は「当時は野球部で、水泳も剣道も得意で運動神経は抜群だったんです。でも事故がきっかけで感情の一部がなくなった気がして。泣かなくなったし、共感性みたいなものが減ったように思います」と話している[109][110][111]

神戸村野工業高校(現:彩星工科高等学校)」は男子校でヤンキーがたくさんおり、しばかれないように、「めちゃくちゃ気持ち悪いやつら」を集めることにする。ひとりは、パンク好きで、すぐベロを出し、カバンに100個くらい安全ピンを付けている同級生、もうひとりは、探偵学校に通い、常にイヤホンで盗聴の音を聞き、授業中は耳栓をし読唇術でポケットの中の小さな紙にメモをとる同級生。最後のひとりは、見た目が小学生のようで全くしゃべらない同級生。結果、ヤンキーにしばかれなくはなったが、田中が所属していたグループは学校中から無視をされていた[50]。それから10年以上経ち、田中を含めた当時の高校の仲間で同窓会をすることになった。すると集まったのは4人中3人だけで、見た目が小学生みたいな同級生だけが来なかった。田中は他の2人にその事を聞くと、2人ともその同級生のことを全く覚えておらず、田中だけが覚えているという不思議な体験をしている[112]

阪神・淡路大震災で被災したが、家族全員無事に生き残った[2]

大学受験に失敗した後、大学に落ちたことを家族にしばらく秘密にしており、母親から大学の入学金として預かったお金を使い、家族に黙ってインドのニューデリーに住む友人のもとへ会いに行く。当時直行便がなかったため、最初にタイへ入国し、その後ネパールへ移動した。ネパールから飛行機でインドへ行く予定だったが、搭乗予定の飛行機がハイジャックされたため、陸路で移動することになる。ネパールでバスに乗っているとき、自身の他に白人の男性と鶏とヤギが同乗しており、とある村で鶏とヤギだけが下車するという不思議な光景を目にする。歩いて移動しているときに、いつの間にか国境を越えてしまったことに気づき、戻って、入国スタンプを貰いに行った。ニューデリーサドゥーヒンドゥー教の修行者)に「おまえはネパール人だろう」と声をかけられる。田中が「日本人だと」答えると、「お前のその靴は盗んだものだから、ネパール人だ」と言われる。当時は1、2サイズ大きめの靴を履くことが流行っていたため、田中は大きめの靴を履いていた。「お前に施しをやる」とサドゥーは言い、1ルピーを渡そうとするが、田中は断る。サドゥーがあまりにしつこいため、田中はサドゥーの手を払うと1ルピーが地面に落ち、くるくると回った。その後帰国し、半年ほど過ぎた頃、夕方に田中は友人と自室で格闘技のテレビ番組を見ていたところ、パチンという音がして、空間から突然コインが飛び出し、くるくると回った。そのコインは1ルピーだった[113][47]

BEAMSでバイトとして働いていた時代について田中は「居酒屋やコンビニのバイトを決める感覚で入ったんですが、服のことなんて全然わかんなくて、案の定あいつはダサいと問題になってましたね。いつも自分なりのおしゃれで挑んでたんですが、どうもあかんかったらしいです。店頭に立たないでほしいとやんわり伝えられて、ほぼ毎日地下の倉庫でストック整理していました」と当時のことを語り[47][114][115]、そんな中、田中は「俺も接客してみたいな」と思って女性服コーナーで販売員をやってみたところ、中国人のバイヤーが来店し、「お前レジしろ」と言われ、200万円くらい買ってくれたという。BEAMSではレジをするとその人のポイントになるシステムで、田中はBEAMS全店舗の中で全国1位の売り上げを達成した。その時の心境を田中は「ずっとサボっていたから社員の女の子が「なんでこんなガリガリのお洒落じゃないやつに抜かされなあかんねん」って朝のミーティングで悔し涙を流されてね。俺もそう思うって感じでした。」と話している[116]

イラストレーターのバイトに関しては「アルバイトというよりも、無理矢理お願いして仕事をもらっていました。」と話し、保険会社でのバイトに関しては「(知り合いに)保険会社の偉い人がいたんですよ。その人に「仕事がないんですよ」と言ったら、「ほんなら仕事をつくったる」と仕事をくれました。その仕事は、全く必要のない書類をホッチキスで延々と留め続ける作業でした。綴じたあとは捨てるんですが、それで日給1万円くらいもらえました。高校卒業してから、20年くらいは月6万円くらいで生活していたかもしれません。」と上京するまでの生活と収入についても明かしている[117]

不定期で参加していた怪談ライブのバイトでは、当時はまだ怪談で食べられる時代ではなく、怪談会やイベントのギャラも安く、交通費も宿泊費も出ない仕事も少なくなかった。そのため、仕事で東京に来ているのに、赤字だったという。宿泊に関してはイベントで共演した人の家を転々としていた[118]。また、怪談ライブのお客さんがいわく物を持ってきてくれることがあり、最初の頃は断り切れず受け取っていたものの、興味があまりなかった。しかし「チャーミー」という呪いの人形を手に入れてから、積極的に収集を始めることとなる[119]

神戸時代に恋人がいたが、その彼女は少林寺拳法の経験者でとにかく強く、いつも田中にDVをしていた。暴力を振るわれていた理由は「僕が100%悪いんですが、彼女が怒るのも無理はないです。理由は言えませんが。」と明かしてない。あんなに猟奇的な女性と付き合ったのは初めてだったといい、具体的には、その彼女は料理するためではなく、人を刺すための、それ専用の包丁を常に用意している人だったらしく、田中は「護身用なんですが、お寿司屋さんで使っているような細くて尖った柳刃包丁です。いつもは台所の上の戸棚に置いていました。そんなある時、彼女がその包丁を持って、僕めがけて走って来たんです。僕は壁に追い詰められて身動きできない状態のところに、彼女が包丁を構えて走ってきたんです。人間の脳って普段はせいぜい10%程度しか使っていない、なんて言われていますが、その時の僕は40%くらい使っていたと思うんです。僕の心臓をめがけて一直線に向かってくる彼女の手に握られている包丁に「ぐわっ」と意識が集中したんですが、そうしたら、いきなり彼女の動きがスローモーションのように見えて、僕は危機一髪、攻撃を回避できたんです。」「こんなことってあるんだな」と思いましたよ。絶体絶命の窮地に追い込まれたから、そういった能力が一瞬芽生えたのかもしれない。でも、その時に髪の毛を振り乱してものすごい形相で突撃してくる彼女の顔は、ハッキリと覚えています。」と話している。また、田中が友人からクボタンを貰った際、彼女がすごく欲しがったため、「じゃあ、これを使って痴漢を退治したらいい」と渡し、それからDV彼女は毎晩、YouTubeを見ながらクボタンの使い方の訓練をし始めた。そんなある日、彼女が突然、田中を公園に連れ出した。昼間だったため、周囲には子どもを遊ばせている母親達が沢山いたが、2人が公園の中心辺りまで来たところで、彼女が突然「うわぁああああーーー!!」と叫びながら「クボタン」で田中の顔をものすごい速さで 3連突きした。一瞬で田中の鼻の穴から鼻血がドバドバ流れ、それでもなお彼女は田中の頭を掴んで「クボタン」で連打し、それを見ていたお母さんたちは「きゃああああーーー!!」と絶叫して大騒ぎになった。蹲りながら耐えていると、ピタッと彼女の攻撃が止まり、それで恐る恐る顔を上げると、大きな黒人が彼女を羽交い締めにして「ニゲロ」と、片言の日本語で言い、田中はなんとか逃げ切り助かった。彼女は「離せー!!」とジタバタして暴れていたという。田中は当時の彼女との関係に関して、「いびつな愛の形でした……。ぼくらは……。」と語っている[120]

2021年まで実家に住んでいたが、実家に居場所はなかったと田中は振り返っており、「ぼくの家族は両親と姉2人と弟。姉弟たちは結婚して実家を出ており、ぼくだけが40歳になっても大好きなオカルト本や呪物に囲まれて、気がつけば子供部屋おじさんになっていました。ぼくは母にとって完全にやっかい者でした」「家族にとって、いまのぼくの生き方は、すべて交通事故の影響ということになっています。実家にいる頃は、いつも昼過ぎに起きていたんですよ。その日も昼過ぎに起きて、2階の部屋の窓を開けてタバコを吸っていると母親が隣のおばさんと話していました。「あんたの息子、何してんの?」というおばさんに対して、母親は「ほら、うちの息子は中2で事故に遭ってるから、もう……」って言ってました。「もう……」ですからね。そんなふうに42歳までほとんど働かずに実家暮らしを続けました。」と明かしている[121]

上京前、藤沢市の強烈な事故物件を見つけた。その事故物件は1987年に藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件があった現場で、田中は外から何度も2階の角部屋の203号室に住民はいないか確認し、誰も住んでいなかったため、管理会社を探して交渉した。当初家賃は1万円と言われ、住む気でいたが、契約前にとりあえず内見して下さいと言われ、不動産屋の案内のもと、いざ現場にいったら手前の202号室までしか入れてもらえず、不動産屋からは203号室は人が住んでますと頑なに断られたのもあって断念した(2025年時点で、その事故物件の建物は解体されている)。また、事故物件だと言わずに住所だけを教えた田中の母の知り合いの占い師から「そこに住んだら死ぬ」って言われていた。その後、友人が紹介してくれた深川のアパートを占い師に見てもらったら「ここに住んだら下妻物語の嶽本野ばらさんみたいな作家になれる」と言われたため深川に決めた[122][123]

田中が上京するためのアパートを借りる契約する際、怪談仲間の友人達が付き添ってくれており、契約書の職業欄に「オカルトコレクター」と書こうとして友人に止められ、「作家」と書き直すように教えられるなど世間知らずだった。また、オファーされた仕事を断らないようにしていたが、スケジュール管理が出来ず、4つの仕事を同じ日にいれてしまい(場所が大阪2つ・東京1つ・北海道1つ)、クワトロブッキングしてしまうミスをした。ブッキングに気がついたのが3日前で、主催者に連絡するのが怖くなってしまい動けなくなってしまった。そしたら当日、奇跡的に台風が来て、4つの仕事が全て中止になり、ブッキングを回避出来た。しかし、それ以外にも仕事をダブルブッキングや、遅刻ばかりしてしまい、そんな田中を見かねた知り合いが、スケジュールの管理をしてくれるようになったという[124][125]

2021年時点で自宅アパートには田中以外にも住民が何組か住んでいたが、2025年には田中以外の住民は全員亡くなっている[126][127]

田中の部屋は呪物の管理のためにお香を頻繁に炊いており、お寺のような匂いがする。また、エアコンの室外機を取り付けられないため、窓にスポットクーラーをつけているが、殆ど効かないという。古くて電気代食うタイプの家電なため、節電してても夏の電気代は1万円を超えると明かしている[128]

自身の収入に関して詳しく把握してはいないが、2025年8月時点で毎月100万円〜200万円を呪物関係に使っており、それでも生活出来ていることから、田中の月収は200万円以上となっている。クレジットカードを何枚も持っており、毎月限度額ギリギリまで使用し、今月やばいかもしれないと困っていると、収入がポンと入ってなんとかなるという状態だという[129]。田中を取材した東洋経済によると、田中の年商は2000万円、手取り年収1000万円以上と予測している。ただ、田中は収入を最低限の生活費と大量の呪物関係に使っているため、2025年9月の時点で通帳残高は2万3000円しか残ってないと明かしている。また、自炊はしておらず、食事はファンの方からもらったお菓子で済ませ、娯楽費はなく、呪物を買うだけ。お金を使うとしたらイベント時の打ち上げぐらいだという。東洋経済の計算だと、田中の年商2000万円、手取りが1300万円と仮定し、生活費は月10万円計算で年120万円。単純計算で1100万円くらいを呪物につぎ込んでいる感じになるという[130]

民間の保険には入っておらず[131]、自動車免許も持っていないと話している[132]。昔、自動車免許は持っていたが、原付二段階右折違反を繰り返してしまい免許停止になったという。それからまた免許を取得しようと思ったが、自分は車を運転したら交通事故起こしそうと感じ諦めたという[133]

呪物に祈ったら温泉が沸いたというエピソードがある。近くの100年くらい続いていた銭湯が老朽化で潰れてしまい、その時は3〜4ヶ月風呂に入らず、全部顔用のボディシートで対処していた。流石に不便に感じ、呪物たちに「銭湯をなんとかしてください」と祈ると、その銭湯から温泉が湧き、リニューアルされ、営業が再開された[42]

家族・親族

父は魚屋で、母も父の仕事を手伝っていた。姉弟は姉2人、田中、弟の4人。父方祖父母はすでに亡くなっており、祖母は94歳まで生きた。先祖に相撲取りがおり、その先祖が魚屋を始め、代々続いていたが、田中も弟も魚屋を継がず、魚屋は父の代で閉店。2025年2月には建物も取り壊され、無くなった[134][135][136][137]

田中家の魚屋について逸話があり、実家の魚屋の屋号は「脇ノ浜」といい、田中家の先祖である脇ノ浜という力士が魚屋を始めた時に自分の四股名をつけたとされる。田中によると「昔々、神戸の灘に脇ノ浜という相撲取りがいまして。相撲取りとして実力はあったものの体力の限界を感じ、この先どうしようか悩んでいたんです。悩み疲れてトボトボと歩いていたら、気がつくと自分のシコ名と同じ神戸灘の脇ノ浜海岸にたどり着いていました。浜辺には漁師が十数人で網漁の網を綱引きの様に一生懸命、海から引き上げている最中でした。脇ノ浜は相撲取りだけあって体が大きく目立ちます。漁師の一人がボーッとしてる脇ノ浜を見つけ、「ちょっとあんた手伝ってくれへんか」と声をかけました。脇ノ浜は言われるままに手伝うと、一気に網は引き上げられ十数人の漁師はそのまま網と一緒に吹っ飛んだといいます。「あんた相撲取りやめて魚屋やりなはれー!」と一人の漁師の言葉で吹っ切れた脇ノ浜は、相撲取りから魚屋へと見事な転身を決めたのです。こうして脇ノ浜は「脇ノ浜」の屋号を名乗り、神戸で魚屋を始めたとさ。」と逸話を明かしている[138]

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『トシが行く』メンバー

来歴

2022年4月にYouTubeチャンネル「田中俊行チャンネル『トシが行く』」を開設した。初期メンバーは田中俊行とカメラマンの2人だった。その後、準レギュラーの形でチビル松村、Apsu Shusei、早瀬康広が頻繁に出演している。内容は主にゲストを田中の家に招いての対談、パワースポット巡りの旅、料理系など。コンセプトは「田中俊行の全く飾らない日常と東京でサクセスしていく」内容の動画配信[139]

レギュラーメンバー

準レギュラーメンバー

呪物

要約
視点

チャーミー

横にすると目をつぶる女の子の人形で、2016年ころ(2023年のインタビューで7年ほど前と話していたことから)、怪談イベントのお客さんから譲り受ける。とある老人の施設で、この人形をかわいがると、その人が幾日もたたないうちに亡くなる現象が次々と起こり、5名が亡くなったという。施設の職員が、人形を倉庫にしまうが、いつの間にか外に出てきてしまう。施設側でこの人形を持て余していたところ、田中の怪談イベントが施設の近くで行われることを知り、田中に受け取ってもらうことにする。チャーミーを家に持って帰った時、部屋の電気が激しく明滅し、パソコンは音声認識Siriが立ち上がり他のアプリケーションが立ち上がらないという不思議な現象が起こった。施設の老人が、チャーミーにご飯を食べさせていたようで、口の中にお米が詰まっていた。これを取り除くと、次々と仕事が来るようになった。名前は、ちょうどその頃来ていた大型台風「Trami」から田中がつけたと話している。このチャーミーがきっかけで呪物集めにのめり込んでいった。田中にとってはビジネスパートナーであり、一見かわいがっているようにみえるが、呪われないように自宅ではドライな関係。帰宅後は「お疲れ様でした」とお礼を伝えている[14][145]

匠の藁人形

通常よりも遥かに大きい藁人形。ある日、京都で暮らしていた修験者が亡くなり、田中の知り合いの骨董商がその遺品の権利を買った。遺品の中のある箱を開けた瞬間、ボタボタッと鼻血が出た。それが大きな匠の藁人形で、その骨董商の知り合いから田中へ連絡がきて、緊急で引き取ってくれと言われ、すぐに引き取りに言った。その藁人形を見るとねじられたうえ、「バンザイ」状態に上がっている両腕。頭から股間まで、急所には釘が打たれている状態だった。本来、丑の刻参りに用いられる藁人形は、木に打ちつけられるものなので、保管されているものは珍しいらしく、調べると、匠の技術を持った呪術師が専用の場所で丹念に呪詛を行ったものだった。田中の推測によると、怨念が強すぎたため、修験者が預かっていたんじゃないかと推察している。そうして田中は自宅へ持ち帰ったが、数日後、不思議な出来事が起きた。真冬の深夜3時頃。アパート階下から“カーン、カーン”と釘を打つような音が聞こえた後、念仏を唱える声がした。窓を開けても下には屋根があるのでよく見えなかったが、向かいの家の住人も外を覗いている様子だった。つまり、霊などではなかった。でも、声がやんだと同時に階下へ下りてみると、誰もいなかった。腑に落ちなかったが、ついでだからと思って缶コーヒーを買いに近くの自販機まで行く最中、途中の家の軒先に、肩を落とした無気力状態の年配の女性が立っていて、こっちを見て「お前のせいだろ!」と怒鳴られた。そのまま田中はびっくりしながらも通り過ぎて、缶コーヒーを買った。ただ、帰り道にその家の前を通らないといけず、嫌だなと思いながら戻っていった。その家の前を通ると、その女性はまだ立っており、田中はそちらの方を見ないようにして自宅アパートの前まで行った。しかし、後ろが気になり、振り返ると、遠くからその女性が田中を睨みつけており、そこから田中の方に向かって追いかけてきた。田中は大慌てでアパートに入り鍵を閉めて、逃げ切った。次の日に道でその女性に会ったが、普段の普通の感じの女性に戻っていて、前日の夜のことを忘れているのような様子だったという。田中は「箱に入っていた人形の呪いが、蓋を開けることで拡散し、ご近所さんに憑依したのかもしれません。もしご迷惑をおかけしていたら、本当に申し訳ないと思います。」と当時の事を明かしている[119][146]

木目込み人形

古い日本人形。ある日、田中のもとにその日本人形が送られてきた。送ってきたのは田中と同年代の男性A。同封されていた手紙には、「おばあちゃんが亡くなって、150年前からある蔵をつぶすことになった。業者から『変なものがあるから見に来てくれ』と言われ、妹と見に行ったら蔵の中央にある梁から何かが吊るされていた」と書いてあった。その「何か」とは、縄でぐるぐる巻きにされた、2つの竹籠をカプセル状にはめたようなもので、開けてみると、その中には日本人形が人の髪の毛でぐるぐる巻きにされ、吊るされていたと書いてあった。Aは、こどもの頃からおばあちゃんに「この蔵には絶対に入るなよ」と念を押されており、その理由は「鬼人(きじん)が出るから」と言われていた。ただその時Aは、こどもを怖がらせるための言葉だろうとしか思っていなかった。田中はその人形を受け取ってから体調を崩し、怪談ツアーで全国を回っている最中もフラフラだったという。辛い中、なんとか仕事をやりきり自宅に帰宅し、近くの病院に行くと、医者の判断で大きい病院に救急搬送され、入院することになった。病気は重度の肺炎だった。そして入院2日目に田中は普段は見ないような変な夢を見た。誰もいない夜中、山のふもとに自分が立っていて、遠くに山肌が見える。自分は山の頂上付近を見ていて、一気に自分の視線が山にズームアップして、グワーっと山の中を駆け巡り、頂上まで行くと鳥居が出てきた。真っすぐ行くと、鳥居の下に着物を着た女の人がいて。真っ黒で最初は顔は分からなかった。その女性と鼻があたるくらいまで近づいた時、その女性の顔が日本人形の顔だった。しかもその日本人形は、まるで般若のような怒りの表情を浮かべていて、田中は初めて「ウワーッ!」と声を出して起きたという。身体は汗まみれだった。そして、病院に持ってきてある荷物の中にあの日本人形を持ってきてると気づいた田中は、フラフラの状態で日本人形を荷物から取り出した。見ると、その日本人形は首がポロッと取れている状態で、あわてて首をちゃんとはめ直した。すると、目の端に見える黒い影が見え、確認したが誰もいなかった。これが、入院中ずっと続いていた。退院後、「あの人形、なんかおかしいんちゃうかな?」と恐怖を感じていた田中のもとに、Aから再度手紙が届いた。「あの人形は、女性問題でもめていたひいおじいちゃんが、満州から持ち帰ってきたものらしい。持ち帰ってきてからずっと悪夢を見るので、ひいおじいちゃんが夢を食べる妖怪・獏(ばく)を信仰しだした。そこから悪夢を見ることはなくなって、蔵にその日本人形を封印したらしい。悪夢を見なくなった後で、ひいおじいちゃんの夢に獏が出るようになった。その獏は、「封じよ」「世に出すな」「神所に返せ」といつも同じ言葉を言っていたらしい」と手紙に書いてあった。なので本来は「この人形は世に出してはいけない、封じ込めて、蔵をつぶす時には神社に行っておさめないといけない」ということだったらしいが、しかしその日本人形は、神社ではなく、田中のところに送られてきた為、Aと話し合い、田中がそのままその人形を所有することになった[147][148]

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出演

バラエティ

地上波

その他

ドキュメンタリー

その他

映画

ネット配信

  • 怪奇蒐集者(コレクター)シリーズ(Amazon Prime Video、2019年)[193]
  • オカルトエンタメ大学(ファミリー劇場、2020年 - 2025年)[194]
  • 住倉カオスの怪談★語ルシス(Amazon Prime Video、2020年3月1日)[195]
  • 怪奇蒐集者 怪談葬庫(Amazon Prime Video、2021年)[196]
  • 怪奇蒐集者 怪談葬庫2(Amazon Prime Video、2022年)[197]
  • あなたのまだまだ知らない世界(テレ朝動画、2022年3月 - 5月、7月、2023年6月 - 7月、2024年6月 - 7月)[198]
  • スピードワゴンの月曜TheNIGHT(ABEMA、2022年8月13日)[199]
  • カンニング竹山の土曜The NIGHT(ABEMA、2022年9月18日)[200]
  • ABEMA Prime(ABEMA、2023年1月26日)[201]
  • 継承怪談(Amazon Prime Video、2023年8月14日)[202]
  • 怪奇蒐集者 ARCHIVE 奇談安置所 B号室(Amazon Prime Video、2023年)[203]
  • 恋する怪 #93 (テレ朝動画、2024年3月26日)[204]
  • 死に至る怪談(Amazon Prime Video、2025年7月20日)[205]
  • 丸山ゴンザレス×田中俊行×都市ボーイズの異界のお宝鑑定団(Amazon Prime Video、2025年10月 - 12月)[206]

ラジオ

展示会

  • 「祝祭の呪物展」(東京、2022年5月)[211]
  • 「祝祭の呪物展2」(大阪、2023年5月、東京、2023年6月)[212]
  • 「都市伝説展~みんなのオカルト50年史~」(神奈川、2023年12月 - 2024年1月)[213]
  • 「祝祭の呪物展 2024」(大阪、2024年5月、東京、2024年7月 - 8月)[85]
  • 「呪物書店」(東京、2024年8月)[214]
  • 「祝祭の呪物展SAPPORO」(北海道、2024年8月)[215]
  • 「都市伝説展2024」(東京、2024年8月)[216]
  • クレイジージャーニー展」(東京、2025年3月 - 4月)[217]
  • 「祝祭の呪物室」(大阪、2025年7月 - 8月、神奈川、2025年10月 - 11月)[218][219]
  • 「ゾッ展~実話怪談とその物証~」(広島、2025年7月 - 8月)[220]
  • 「都市伝説展2025」(長崎、2025年8月)[221]
  • 「コワイモノ展」(東京、2025年9月)[222]
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著書

  • 怖い部屋の話 ゾッとする間取りと事故物件(2022年10月20日、宝島社[223]
  • 呪物蒐集録(2022年12月16日、竹書房ISBN 978-4801933040[224]
  • あべこべ(2023年6月26日、二見書房ISBN 978-4576221137[225]
  • 神戸怪談(2023年10月30日、竹書房〈竹書房怪談文庫 HO 639〉、ISBN 978-4801937543[226]
  • 紙呪(2024年6月26日、二見書房、ISBN 978-4576240602[227]
  • 呪物蒐集録Ⅱ(2025年9月22日、竹書房)[228]
共著
  • ぼくと呪物の奇妙な生活 呪物コレクター誕生秘話編(2023年7月27日、田中俊行 企画・原案、オオイシヒロト 著、竹書房〈BAMBOO ESSAY SELECTION〉)[229]
  • 怖い話でメシを食う。 最恐の2人が語る奇妙な日常(2024年7月11日、田中俊行、はやせやすひろ 著、日本ジャーナル出版ISBN 493092720X[230]
  • ぼくと呪物の奇妙な生活 最恐呪物蒐集編(2024年8月7日、田中俊行 企画・原案、オオイシヒロト 著、竹書房〈BAMBOO ESSAY SELECTION〉、ISBN 978-4801941212[231]
  • 呪念魂(2025年5月7日、田中俊行、高田公太 著、竹書房、ISBN 978-4801944404[232]
  • ぼくと呪物の奇妙な生活 闇の契約編(2025年8月7日、田中俊行 企画・原案、オオイシヒロト 著、竹書房〈BAMBOO ESSAY SELECTION〉[233]
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脚注

外部リンク

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