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田代照勝
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田代 照勝(たしろ てるかつ、1934年6月27日 - 2003年10月8日)は、岡山県出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球審判員、野球解説者、飲食店経営者[注 1]。木屋フーズ[注 2]社長[3]。
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来歴・人物
岡山県立南海高等学校ではエースとして活躍。1952年春季山陽大会決勝に進み、柳井商工の森永勝也と投げ合うが0-1で惜敗。同年夏の甲子園県予選決勝で岡山東高を降し、東中国大会に進む。しかし1回戦で浜田高に敗れ甲子園には届かなかった。高校同期に二塁手の三宅秀史がいた。
1953年に国鉄スワローズ[注 3]へ入団。1955年7月27日に三林清二をリリーフして大洋ホエールズから初勝利。8月4日に大阪タイガースを相手に初先発、西村一孔と投げ合い、8回を3失点に抑えるが敗戦投手となった。在籍6年間で6勝6敗の成績を挙げ、1958年限りで引退[注 4]。ドロップ、カーブ、ナックルを武器とした。
1959年からセントラル・リーグ審判員となり1968年まで930試合務めた[1][2]。
審判を辞めた後はうどん屋「手打ちうどん銀座木屋」[注 2]を経営していた[注 5]他、1972年にはテレビ神奈川(TVK)の野球解説者も務めていた[注 6]。
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詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 42 (1953年)
- 15 (1954年 - 1957年)
- 31 (1958年)
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関連情報
出演番組
- テレビ神奈川制作プロ野球中継 - 解説[注 7]
脚注
関連項目
外部リンク
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