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白木一二

日本の野球選手 (1915-1944) ウィキペディアから

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白木 一二(しらき かずじ、1915年11月3日[3] - 1944年?)は、兵庫県[4]出身のプロ野球選手外野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...

来歴・人物

滝川中学校(現:滝川中学校・高等学校)、國學院大學(中退)を経て、1937年春、名古屋軍に入団。身長182cm、体重71kgという当時としては非常に大柄で恵まれた体格[5]を活かし、シュアな打撃でチームを引っ張った。3番打者の大沢清の後ろで、4番打者を任された[1]中日ドラゴンズ史上8代目の4番打者でもある[6])。入団初年度の1937年春季シーズンでは、チームトップタイ(小島茂男と並ぶ)の27打点をマーク。戦前の投高打低の状況下で、一度もシーズン打率2割を下回った事がなかった。また選球眼も良く、四球の数が三振を上回っていた。守備も、強肩として定評があった[1]

1939年シーズン開幕前に応召[1]。その後、戦死した(1944年に亡くなったと言われている[1]が、正確な没年日時・死没場所は不明)。数え30歳没。

東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 21 (1937年)[7]
  • 5 (1938年)[8]
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脚注

関連項目

外部リンク

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