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真木ことみ

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真木 ことみ(まき ことみ、1972年6月29日 - )は、神奈川県相模原市緑区(旧津久井郡藤野町)出身の演歌歌手。本名:永井 君子神奈川県立橋本高等学校中退。

来歴

神奈川県相模原市(旧津久井郡)の山梨県との県境あたり、山間部に生まれ育った。小さい頃から、道志川で兄弟や友達とよく遊んだ。父親も母親も演歌好きで、幼い頃より演歌歌手になるのが夢だった。小学校の高学年あたりから人前で歌うようになり、高校生になって初めてカラオケ大会に出場した。そして、最優秀歌唱賞を受賞したり、あるテレビ番組の夏の高校生大会に出場しA賞を受賞したりした。

1993年ポニーキャニオンよりシングル「橋」でメジャーデビュー[1]2000年日本クラウンへ移籍。

中畑清はデビュー当時より真木の応援団長をしている[2]。共通の知人を通じて知り合い、カラオケに一緒に行くようになり親しくなった。「ときめいて乾杯」というデュエット曲もある。つらい時は中畑の言葉や笑顔を思い出し頑張っている。

趣味は2011年から再開したパッチワーク。母親が昔からやっていたので真木もやるようになった。

鹿児島県いちき串木野市で開催される串木野まぐろフェスティバル(4月末から5月頭ごろ)には、デビュー当時から毎年のように出演している。お気に入りは、まぐろラーメン。

最初に歌った歌は、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』。友達の家族と何家族かでバス旅行に行ったバスの中で歌った記憶がある。5歳ぐらいの時だった。裏声に返すところ、「あーあー」というファルセットになるところがすごく心地よくて、歌うとまわりの大人にほめられるのがたまらなく快感で、やみつきになった。石川とは後に同じポニーキャニオンで活動もした。

祇園にある花彩の葛切りが大好きで、京都に行った時は必ず食す。

デビュー当時、左足が動静脈瘤により自由が利かず、松葉杖をついて唄っていたが、1992年5月にその左足膝下を切断し義足に置き換える手術を行った。

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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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カバー・アルバム

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ベスト・アルバム

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映像作品

ミュージック・ビデオ

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出演

テレビ

ラジオ

脚注

関連項目

外部リンク

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