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石川さゆり
日本の女性歌手、女優 (1958-) ウィキペディアから
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石川 さゆり(いしかわ さゆり、1958年1月30日[2] - )は、日本の演歌歌手[5]、女優。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント、所属事務所はさゆり音楽舎。熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)出身。
石川県能登町復興応援特命大使(2024年12月~)
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来歴
要約
視点
小学校1年生の時、島倉千代子の歌謡ショーに感動し、歌手を志すようになる[6]。5年生まで飽田村立飽田東小学校に通っていたが[7]、その後横浜市神奈川区に転居し[6]、歌のレッスンを受けはじめる[8]。レッスンの費用は牛乳配達のアルバイトで捻出したという[9]。
1972年、横浜市立城郷中学校3年生の夏休みに、フジテレビ系列の「ちびっ子歌謡大会」に参加できなくなった友人に替わって参加し合格[6]、ホリプロにスカウトされ芸能界入りを果たす。同年秋に放映されたフジテレビの連続ドラマ『光る海』では、沖雅也の妹役としてレギュラー出演した[6]。「さゆり」の芸名は同番組プロデューサーの岡田太郎が「いつまでも美しく清潔であってほしい」というイメージで命名した[1]。
1973年3月25日、「かくれんぼ」で日本コロムビアよりデビュー[6]。キャッチフレーズは「コロムビア・プリンセス」。しかしデビューからしばらくは「花の中三トリオ」(森昌子・山口百恵・桜田淳子)の影に隠れたこともあり、大きな人気を得るには至らなかった。石川が歌手デビューした1973年には森昌子・山口百恵とのユニット「ホリプロ三人娘」が企画されイベントも開催されたが、短期間で頓挫した。
茶の間に顔と名前は知られたものの[10]、上記の同世代との差が開いた。その不安を払拭するように歌に没頭し、二葉百合子に弟子入りして歌を基礎から学び直した。さらに歌に深みを持たせるため、民謡や日舞にも打ち込んで技術を身に着けた[11]。
1977年、前年1976年に発売されたアルバム『365日恋もよう』からシングルカットされた「津軽海峡・冬景色」が大ヒット。同年末の『第19回日本レコード大賞』(TBSテレビ・ラジオ)歌唱賞、『FNS歌謡祭』(フジテレビ系列)グランプリ(ほか最優秀歌唱賞・最優秀視聴者賞も獲得)など数々の音楽賞を受賞、さらに『第28回NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)に念願の初出場。同1977・翌1978年発売の「能登半島」「暖流」[12][13]「沈丁花」も続けてヒットした。
1980年代に入ってからも「波止場しぐれ」(1985年 第27回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞)、「天城越え」(1986年 第28回日本レコード大賞・金賞)、「夫婦善哉」(1987年 第29回日本レコード大賞・金賞)、「滝の白糸」(1988年)、「風の盆恋歌」(1989年 第31回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞)などのヒット曲を世に送り出し、日本を代表する女性演歌歌手の一人となった。
2012年から取り組んでいるコラボアルバム『X-Cross(クロス)』シリーズなど、現在様々なジャンルや年代のアーティストと音楽活動を展開している。
また、刑事ドラマ『大空港』(フジテレビ)第52話に女性刑事水島さゆり役でレギュラー出演(1979年9月から1980年3月)、大河ドラマ(NHK総合)『功名が辻』(2006年)、『麒麟がくる』(2020年)、映画『PERFECT DAYS』(2023年)に出演するなど、女優としても活動している。
1981年、元マネージャーの馬場憲治と結婚。1984年2月に長女・佐保里[14]を出産するも、1989年2月に離婚。
1989年からカラオケボックス事業に進出。知人の仲介で15店舗を買い取ったが、バブル後の不況で経営を断念。知人に経営権を譲渡した。石川の不良債権は知人が買い取るも、連帯保証人として名前が残っていた。1999年に国民銀行が倒産し、2001年に連帯保証をしていた石川らに、整理回収機構が返済を求めた訴訟を起こした。東京地裁による判決では、石川に約2.2億円の支払い命令が出たが、整理回収機構がこれを不服として控訴。石川は1992年に新築した豪邸を一時期差し押さえられたが、最終的に約10億円の賠償で決着した。[15]
1997年、デビュー当時から所属していたホリプロを退社し、個人事務所「ビッグワンコーポレーション」を設立して独立。
好きな男性のタイプについて「年下より、ずっと年上の人がよい。いろいろ教えてくれる人の方がいい」と語っている[16]。
2013年11月14日、8日に死去した島倉千代子の葬儀・告別式で後輩歌手代表として弔辞を読んだ[17]。
2015年12月30日、TBSテレビ・ラジオ「第57回日本レコード大賞」において日本作曲家協会奨励賞を受賞[18]。

2018年3月、第68回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞[19]。翌2019年5月、紫綬褒章の受章が日本国政府より告示された[20][21]。
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人物
影響を与えた人物
- 石川が小学校6年生のころ、同時期に同じ音楽教室に通っていた。高橋は「絹代ちゃんは私がぶれることなく演技一本に絞るきっかけとなった女の子なのです」「天才的な歌唱力は私の記憶に深く刻み込まれます」と石川のことを回想している[8]。
影響を受けた人物
親交のある人物
- イチローが登場曲に天城越えを使いたいと申し出て以来、交流が続いている。石川はアメリカまで毎年試合を見に行くと約束し、これを実現したため、その律儀さにイチローは驚いたという[28]。
- 2014年の楽曲提供をきっかけに、一緒にライブ鑑賞をしたり、旅行をしたりと交流が続いている[30]。
- 一緒に旅行をしたり、自宅に招き合ったりする仲である[32]。
関連人物
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ディスコグラフィ
シングル
- レーベル
- 1 - 58:日本コロムビア(1973年 - 1993年)
- 59 - 77:ポニーキャニオン(1993年 - 1999年)
- 78以降:テイチクエンタテインメント(2000年 - )
- 「Kinuyo」は石川のペンネーム。
デュエット・シングル
配信限定シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
カバー・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
CD-BOX
タイアップ曲
- 金鳥『蚊取り線香』CMソング
映像作品
ライブ
ミュージック・ビデオ
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著書
- うちの佐保里姫 石川さゆりの愛・結婚・出産(1984年8月、小学館発行。書籍コード:ISBN 4093060088)※馬場憲治と共著。
出演
要約
視点
映画
- としごろ (1973年4月、松竹) - 藤沢淳子
- 伊豆の踊子 (1974年12月、東宝) - おきみ
- トラック野郎・故郷特急便 (1979年、東映) - 小野川結花 (マドンナ)
- PERFECT DAYS(2023年、監督・ヴィム・ヴェンダース) - 居酒屋のママ
テレビドラマ
- お笑いオンステージ「てんぷく笑劇場」 (NHK総合)
- 光る海 (1972年、フジテレビ) ※芸能界デビューの作品
- 事件ファイル110 甘ったれるな 第7話「女子高生 恐怖の殺人容疑」(1976年2月24日、TBS・松竹) - 加賀美ゆう子
- 新・夜明けの刑事(TBS・大映テレビ)
- 第7話「さゆりの初恋、ああ!能登半島」(1977年5月25日)
- 第20話「東京—足摺岬 悲しき別れの歌」 (1977年9月28日)
- 明日の刑事 第18話「許されぬ恋の果て」(1978年2月8日、TBS・大映テレビ)
- 疾風同心 第5話「蘇えった父娘の絆」(1978年10月18日、東京12チャンネル・C.A.L) - お駒
- おはなちゃん繁昌記 第5回「江戸屋甘から騒動」(1978年11月12日、テレビ朝日・ホリプロ)
- 大空港 第52話~第78話(1979年9月3日 - 1980年3月24日、フジテレビ・松竹) - 水島さゆり刑事
- ぬかるみの女 (1980年1月7日 - 1980年9月26日、東海テレビ・東宝) - さよ (特別出演)
- 大江戸捜査網 第462話「浮世絵が明かす大爆破の謎」(1980年10月4日、東京12チャンネル・三船プロ) - 芸者・小雪
- 水戸黄門 第12部 第4話「兄と呼ばれた格之進 -諏訪-」(1981年9月21日、TBS・C.A.L) - 柏木綾
- 大河ドラマ(NHK総合)
- パパドル! 第4話(2012年5月17日、TBS・ドリマックス) - 本人役
CM
- 黄桜酒造(1978年)
- 花王
- 味の素「まろみ」(1988年)
- 中外製薬「中外胃腸薬」(1988年 - 1991年) ※ 現在はライオンから「スクラート胃腸薬」として発売。
- サントリー
- 大日本除虫菊「金鳥蚊取り線香」(1995年 - 2003年)
- JT「ルーツ」 - CMソング「根の歌」を歌うユニット「コーラスジャパン」に参加(2010年10月 - )。
- 本田技研工業「ホンダ・フィットシャトル ハイブリッド」(2012年) - 実娘と共演(「石川さゆりさん 親子・2012年3月25日 購入」とクレジット)。
- ハウス食品「うまいっしょ」(即席ラーメン)
- サントリー食品インターナショナル「ペプシ Jコーラ」 - “怪物舞踏団”の一員としてSUGIZO・KenKen・DJ RENA・にゃんこすたーらと共演。
- 東建コーポレーション(2022年 - ) - イメージキャラクターに就任し、企業CMに出演。
- UHA味覚糖
- 「塩あずき」(2022年 - )
- 「味覚糖のど飴」(2023年 - )
- 「邪払のど飴」(2025年 -)
舞台
ラジオ
NHK紅白歌合戦
紅組歴代最多出場。紅組トリ回数は美空ひばりの13回に次ぐ記録である。第34回(1983年)のみ産休・臨月に入っていたため出演を辞退したが、NHK側からの要請で紅組の「特別応援ゲスト」で紅白本番のステージに登場した[39][40]。
第73回で紅組歌手で初の45回出場を達成[41]。同じく紅白での40年連続出場も、紅組歌手では第1位(紅組2位の連続出場は小林幸子の33回。白組歌手も含めると五木ひろしの50回、森進一の48回に続いて第3位)。紅白出演について、2014年(第65回)の時点で「今は紅白卒業を全然考えてないけど、そういうこと(卒業)を思う日が来ることもあるかもしれない」と述べている[42]。
また、第58回(2007年)以降第74回(2023年)まで「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」とを1年おきに歌唱している。NHK側から「これ(2曲の歌唱)が日本の年越しなんですよ」と言われることには、複雑な気分になっているという[43]。NHK関係者との面談で「(2曲を唄うのは)もう何回目でしょうね?」「今年も新曲を出しているんですよ!」と不満を口にしたと報じられたこともある[44]。その後、2024年の雑誌取材では「この2曲を聴いて『ああ、大晦日だね。新しい年がくるね』と皆さんが感じてくださるなら、それはそれで嬉しいことだと思うようになりました。そういう歌があるのは、歌い手として幸せなこと」と述べている[45]。
NHKみんなのうた
※▲はラジオのみの放送、△は『みんなのうた発掘スペシャル』の放送。「ここは 南の島」「広瀬川慕情」は発掘プロジェクトにより音声・映像が見つかったが、石川歌唱による音源化は現在も行われていない。
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脚注
外部リンク
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