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第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)

中央省庁再編後の第2次森改造内閣 ウィキペディアから

第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)
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第2次森改造内閣(だいにじもりかいぞうないかく)は、森喜朗が第86代内閣総理大臣に任命され、2001年(平成13年)1月6日から同年4月26日まで続いた日本の内閣

概要 内閣総理大臣, 成立年月日 ...

中央省庁再編前の第2次森改造内閣と閣僚の顔ぶれは変わらず、中央省庁再編により新体制となった各省大臣等の補職辞令が発出されたものである。

概説

新省庁となった銘板の揮毫は原則として各省大臣の手によるものである。ただ財務省については、宮澤喜一が最後まで拒んだため、パソコン楷書体から宮澤自ら文字を選定し、銘板を作成した(大蔵省の項を参照)。

KSD事件に関連し、経済財政政策担当大臣額賀福志郎2001年(平成13年)1月23日に辞任し、後任には麻生太郎が就任した[1]2001年2月10日に起きたえひめ丸事故で休暇中だった森は当時ゴルフのプレー中で初動の対応の悪さに批判が殺到し、世論調査では支持率8%、不支持率82%まで達した[2]読売新聞は2001年2月、「森内閣支持8・6%に急落 歴代2位の低さ/読売新聞社全国世論調査」の記事を掲載した。記事には以下のような解説がある《今回、森内閣の支持率が急落したのは、「ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」(KSD)の資金提供疑惑、これに絡む村上正邦・前参議院議員会長の議員辞職、外務省の機密費流用問題、水産高校実習船沈没事故への対応のまずさとゴルフ会員権問題のほか、株価の下落も影響したものと見られる》[3]2001年3月5日内閣不信任決議が否決されたが、3月10日夜、森は9月に予定される自民党総裁選を繰り上げて実施するとの考えを示すことで事実上の退陣表明し[4]、内閣不信任決議否決後の52日後の4月26日に低支持率などを理由に内閣総辞職をした。これは長期政権の党首任期満了や国政選挙敗北以外では、内閣不信任否決から総辞職までの最短記録である[注釈 1][注釈 2]。また、一事不再議の原則から会期末に内閣不信任決議が提出されることが慣例となっている政界において、会期末となっている6月29日から116日前の3月5日と内閣不信任決議が採決されたのは、内閣不信任決議の採決において最も会期末から遠い時期の採決である。

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国務大臣

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※橋本国務大臣の補職のうち、規制改革担当大臣の発令は2001年4月1日。

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内閣官房副長官、内閣法制局長官

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内閣総理大臣補佐官

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副大臣

大臣政務官

脚注

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関連項目

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外部リンク

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