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アラビア数字
0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 の記号 ウィキペディアから
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アラビア数字(アラビアすうじ、英: Arabic numerals[注 1])あるいはインド・アラビア数字は、インド数字に起源を持つ十進記数法の数字である。 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 の10種類がある。
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概説
インド起源の数字であるにもかかわらず「アラビア数字」と呼ぶのは、アラビアからヨーロッパへ伝わりそこで"Arabic numerals"(アラビア語の数字、アラビアの数字)と命名されたことによる。日本ではその後定着したことから、一部で洋数字と呼ばれることもある。また、筆算に用いる数字であるため算用数字とも呼ぶ。日本の法令ではアラビア数字[1]もしくはアラビヤ数字[注 2]と呼んでいる。
歴史


ヨーロッパの諸言語に用いるアラビア数字は直接にはアラビアのインド数字に由来する。インド最古の数字はブラーフミー数字であるが、この時はまだ位取り記数法ではなく、0 の数字が無かった。おそらく6世紀までに 0 が発明され、デーヴァナーガリー数字となり、これが四方に伝わっていった。
西方ではアル=フワーリズミーの『インドの数の計算法』(Kitāb al-Jām'a wa'l-Tafrīq bi'l-Hisāb al-Hindī, 825年)とアル=キンディーの『インドの数の使用について』(Ketab fi Isti'mal al-'Adad al-Hindi, 830年頃)にすでにインド数字が紹介されている。アラビア語ではインド数字 (al-raqām al-hindīya) と呼ばれている。アラビア文字の書字方向は右から左だが、数字だけは左から右に書く。これは、元々インド系言語の書字方向が左から右だからである。このため、アラビア語のワードプロセッサやタイプライターは数字部分を逆送りにする機能を持つ。
ヨーロッパでは後ウマイヤ朝の影響下にあったヒスパニアから始まり、コデクス・ウィギラヌス(Codex Vigilanus, 976年)においてイシドールスへの注釈に初めて現れる。しかし 0 は失われている。その後、オーリヤックのジェルベールが980年頃からこのインド数字の普及を始めた。しかし本格的に広まり始めるのはレオナルド・フィボナッチの『算盤の書』(Liber abaci, 1202年)からである。その後、印刷術の導入で使用が増え、16世紀中頃にはローマ数字を置き換えて定着した。
南方および東方ではデーヴァナーガリー文字と共に数字が伝わり、各言語で文字が変化すると数字も変化していった。
中国には718年に瞿曇悉達により紹介されたが、中国ではすでに紀元前から十進法の算木が使われており、筆算より計算が速かったため、インド数字が定着することはなかった。漢数字の〇はそれより遅れて南宋の時代に現れた。漢字文化圏でヨーロッパのアラビア数字が定着するのは、欧米列強が本格的にアジア地域に進出しはじめた19世紀になってからである。
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インド・アラビア数字の系統
以下にデーヴァナーガリー数字に由来する数字を示す。
Unicode 未対応の数字:
- シロティ数字(シロティ・ナグリ文字[4]の数字)
- ランジャナー数字(ランジャナー文字)
脚注
関連項目
外部リンク
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