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綾若真生
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綾若 真生(あやわか まさお、1909年11月20日 - 1989年11月10日)は、青森県南津軽郡(現在の黒石市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 勝雄(たかはし かつお)。最高位は西前頭5枚目(1940年1月場所)。現役時代の体格は身長170cm、体重82kg。得意手は右四つ、下手投げ、捻り、足癖、とったり。
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来歴
農家に生まれ、幼少時から力が強く米2俵を両手に担ぎ近在の評判になったという。同じ津軽出身の綾櫻を慕って上京、出羽海部屋に入門して1925年1月場所に綾櫻に因んだ「綾若」の四股名で初土俵を踏んだ。綾櫻や大ノ里らの指導を受け、入門から5年後の1930年5月場所で十両に昇進した。
しかし東十両11枚目で迎えた1932年1月に春秋園事件が起こった。綾若は綾櫻に従って相撲協会を脱退した。天竜・大ノ里が率いる大日本相撲連盟(1933年から関西角力協会)にいたが1年もたたずに離れて協会に帰参、1933年1月場所に十両格別席で復帰した(この時の別席番付では「綾若完三郎」の名で最後尾に載っている)。復帰後4場所目の1934年5月場所に入幕を果たした。
小兵軽量だが筋肉質の体型で、右を差して食い下がってから投げや捻り、足技やとったりなど多彩な技を繰り出し、常に土俵狭しと動き回る取り口で人気があった。十両に2度陥落したが主に幕内中位で相撲を取り、1941年1月場所4日目には日の出の勢いだった関脇照國(のち38代横綱)をうっちゃりで破った。柔らかく腰が重い、しかも相撲巧者の照國をうっちゃって見せたことからその技量はなかなかのものだったとされている。
1942年5月場所、西前頭20枚目張出で7勝8敗と負け越したのを取り納めとして引退、協会には残らず廃業した。その後は東京都杉並区で接骨院を営むかたわら自彊術を教えていた。また、新宿区で季節料理店「綾若」も経営した[1]。出羽海部屋OBで構成する「友愛会」には毎年のように顔を出し続けたという。
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主な成績
- 通算成績:221勝177敗25休 勝率.555
- 幕内成績:89勝96敗14休 勝率.481
- 現役在位:45場所
- 幕内在位:15場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1930年1月場所)
- 三段目優勝:1回(1927年3月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。
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改名歴
- 綾若 永木(あやわか えいき)1925年3月場所 - 1929年9月場所
- 綾若 勝雄(あやわか かつお)1930年1月場所 - 1935年1月場所
- 綾若 真男(あやわか まさお)1935年5月場所
- 綾若 勝雄(あやわか かつお)1936年1月場所
- 綾若 真男(あやわか まさお)1936年5月場所 - 1939年1月場所
- 綾若 真生(あやわか まさお)1939年5月場所 - 1942年5月場所
脚注
関連項目
外部リンク
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