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荒巻三之

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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荒巻 三之(あらまき みつゆき、1915年3月28日 - 1993年10月27日)は、将棋棋士、九段。花田長太郎九段門下。棋士番号は20。東京府(現:東京都)の生まれ。

概要 荒巻三之 九段, 名前 ...
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経歴

1937年、プロ入り。順位戦には第1期(1946年度)から参加。当時六段であったため暫定B級からスタートするが、5勝9敗でC級に降級。つづく第2期(年度)も3勝9敗で振るわなかった。

しかし、第3期(1948年度)の予選(C級2組第1組)で3戦全勝し、C級でも7勝2敗で1位の成績を収め、B級に昇級。段位は七段となる。つづく第4期(1949年度)B級順位戦では2勝6敗に終わるが、この期に限ってはB級順位戦で2勝を挙げれば降級を免れる決まりであったため、B級に残留した。

そして、第5期(1950年度)B級順位戦はA級昇級枠が3名であったが、荒巻と加藤博二斎藤銀次郎の3名が8勝4敗の3位タイで終える。プレーオフは、加藤と斎藤で1回戦を行い、その勝者と荒巻とで決勝を行うこととなった。荒巻は加藤に勝った斎藤との決戦を制し、A級八段となる。

かくして第6期(1951年度)に初のA級順位戦を戦う。名人経験者の塚田正夫に勝利する健闘を見せたものの、升田幸三大山康晴ら強豪の壁は厚く2勝6敗の成績に終わり、残留はできずに1期でB級に陥落することとなった。

第13期(1958年度)B級2組順位戦を終えたところで引退。将棋連盟からの「贈九段」の申し出を断り続けたという[2]

1993年、呼吸不全のため[3]死去。享年78。九段の段位を追贈された。

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エピソード

  • 主に居飛車を指し、力戦調の将棋が多い棋風である。
  • ニックネームは海坊主[4]
  • 日本将棋連盟総務部に長く在籍。達筆であることから免状・賞状の仕事を多くこなした[3]
  • 荒巻死後の1998年、加藤一二三は師匠を南口繁一から剱持松二に変更した。剱持に師匠になってもらった理由は、加藤が剱持と懇意であったこともあるが、剱持の師匠である荒巻が、加藤と家族ぐるみの付き合いをしていた縁があったからだという[5]

弟子

棋士

さらに見る 名前, 四段昇段日 ...

昇段履歴

  • 1932年00月00日 : 入門
  • 1935年00月00日 : 初段
  • 1937年1月1日四段 = プロ入り
  • 1939年04月01日 : 五段
  • 1941年04月01日 : 六段
  • 1949年04月01日 : 七段(順位戦B級昇級)
  • 1951年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級)
  • 1959年04月30日 : 引退
  • 1993年10月27日 : 死去
  • 1993年10月29日 : 追贈九段

主な成績

将棋大賞

  • 第11回(1983年度) 東京記者会賞

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...

表彰

  • 免状執筆30年表彰(1982年11月)
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脚注

関連項目

外部リンク

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