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南口繁一
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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南口 繁一(みなみぐち しげかず、1918年〈大正7年〉9月4日 - 1995年〈平成7年〉9月20日)は、将棋棋士。棋士番号は37。京都府相楽郡木津町(現・木津川市)出身。村上真一八段門下。
経歴
1933年、初段で村上真一八段に入門。1935年の関西奨励会創設にあたって二段で参加[3]。創設時の奨励会には他に大山康晴(1935年当時6級)などがいた。
大山は南口に飛車落ちで指してもらい、勝ったとはいえ大苦戦したため、「初段は強いなと子供心に思った」という[要出典]。
軍隊に行ったためブランクがあったが、1944年四段、1950年八段。1951年度の第2期九段戦で大山に挑戦するが3連敗で敗退。1984年九段、1985年4月引退。
京都新聞の将棋欄を長く担当し、京都棋界の中心的存在として普及に尽力した。1995年敗血症のため77歳で死去。偶然にも、中京棋界の中心だった板谷四郎九段が亡くなる1週間前であった。
弟子
棋士となった弟子
村山聖をはじめとする森門下の棋士及び阿久津主税(滝の弟子)は孫弟子にあたる。
加藤一二三も入門当初は南口門下であったが、1998年に自ら申し出て、剱持松二門下に変わっており、現在の加藤一二三の公式プロフィールから南口の名は消えている。
また、伊藤果も関西奨励会に入会した当初は南口門下だったが、その後関東奨励会に移籍した際に高柳敏夫門下に変更している。そのため伊藤の公式プロフィールにも加藤の公式プロフィール同様南口の名はない。
昇段履歴
→昇段規定については「将棋の段級」を参照
主な成績
- 九段戦:1回(1951年度 = 第2期)
- 登場回数1、獲得0
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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脚注
関連項目
外部リンク
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