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藤原藤嗣

平安時代初期の公卿。藤原北家。藤原鷲取の次男。従四位上・参議。 ウィキペディアから

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藤原 藤嗣(ふじわら の ふじつぐ)は、平安時代初期の公卿。名は藤継とも記される。藤原北家左大臣藤原魚名の孫。中務大輔藤原鷲取の次男。官位従四位上参議

概要 凡例藤原 藤嗣, 時代 ...

経歴

延暦12年(793年常陸掾に任ぜられると、中務少丞式部大丞を経て、延暦18年(799年従五位下叙爵される。のち、権右少弁大宰少弐を歴任する。

延暦25年(806年)4月に平城天皇即位すると、5月に従五位上、6月に従四位下と1年間で4階級の昇叙を受けるなど、平城朝で急速に昇進するとともに、右京大夫兵部大輔を歴任した。

大同4年(809年嵯峨天皇の即位に伴い従四位上に叙せられて、皇太子高丘親王(平城上皇の皇子)の春宮大夫に任ぜられる。また、右大弁陸奥出羽按察使も務める。翌大同5年(810年)に発生した薬子の変では嵯峨天皇側に付いて右近衛中将を兼ね、変後は摂津守を兼ねた。弘仁3年(812年参議兼大宰大弐に任ぜられ公卿に列す。のち右衛門督を兼ねた。

弘仁8年(817年)3月25日薨去享年45。最終官位は参議従四位上。

官歴

注記のないものは『六国史』による。

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系譜

尊卑分脈』による。

脚注

参考文献

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