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重松省三
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重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )は、愛媛県今治市[1]出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
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経歴
今治西高校卒業後は1958年に松山商科大学へ進学し、西部地区連盟代表として、2年次の1959年から4年次の1961年にかけて全日本大学野球選手権大会3年連続出場を果たすが、いずれも初戦敗退に終わる。
大学卒業後の1962年に西濃運輸へ入社し、主に4・5番を打って春の選抜大会に出場。シュアな中距離打者として注目を集め、同年春の都市対抗に初出場。
大会終了後の8月に退社して大洋ホエールズへ入団し、11日の国鉄戦(川崎)で初出場を果たすと、30日の国鉄戦(後楽園)で3番手登板の金田正一から初安打を記録[1]。
2年目の1963年から一軍に定着し、3年目の1964年には1番・中堅手の定位置を獲得。同年は自己最多の136試合に出場して打率.296(7位)・15本塁打と共に自己最高の記録を残し、自身唯一のオールスターゲーム出場を果たしたほか、ベストナインにも選出された[1]。1964年3月21日に行われた中日との開幕戦(中日)で開幕投手の河村保彦から初本塁打を放ち、翌22日には水谷寿伸から初満塁本塁打を放つ。オールスターでは7月21日の第2戦(中日)で尾崎行雄から大会第1号本塁打を放ち、全セの2連勝に貢献。
1966年6月5日の中日戦(札幌円山)で河村から代打本塁打、1967年10月11日のサンケイ戦(川崎)ではダブルヘッダー第1戦で佐藤進から代打サヨナラ本塁打、続く第2戦では1番として起用され、石戸四六から初回に先頭打者本塁打を放った。サヨナラ本塁打の次の試合で先頭打者本塁打を放ったのはセ・リーグ史上2人目であり、第1戦で放ったサヨナラ本塁打はプロ野球通算333号サヨナラ本塁打となった。
その後もメガトン打線のチャンスメーカーとして活躍し、1968年から1970年には3年連続で2桁本塁打を記録。1970年・1971年には2年連続で規定打席に到達し、1971年4月19日の阪神戦(川崎)で江夏豊から4年ぶりのサヨナラ本塁打を放ち、7月12日の阪神戦(甲子園)で通算1000試合出場を達成。
1972年9月12日の中日戦(中日)で稲葉光雄から8年ぶりの満塁本塁打を放つが、1973年からは出場機会が徐々に減っていき、1975年限りで現役を引退[1]。
引退後は大洋で一軍コーチ(1976年)、二軍外野守備・走塁コーチ(1977年)、二軍打撃コーチ(1978年 - 1979年, 1987年 - 1988年)、スカウト(1980年 - 1986年)を歴任[1]。スカウト時代はカルロス・ポンセの獲得に尽力し、1989年からフロント入り。
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詳細情報
年度別打撃成績
表彰
- ベストナイン:1回 (外野手部門:1964年)
記録
- 節目の記録
- 1000試合出場:1971年7月12日 ※史上153人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1964年)
背番号
- 65 (1962年)
- 32 (1963年 - 1966年)
- 6 (1967年 - 1972年)
- 9 (1973年 - 1975年)
- 30 (1976年)
- 74 (1977年 - 1979年)
- 70 (1987年 - 1988年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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