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長岡岡成

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長岡 岡成(ながおか の おかなり)は、平安時代初期の皇族貴族朝臣桓武天皇皇子官位従四位上散位頭

経歴

桓武天皇の皇太子時代(宝亀4年〔773年〕 - 天応元年〔781年〕)に生まれる[1]延暦6年(787年長岡朝臣姓を与えられ臣籍降下した。長岡の氏の名は、当時の山背国乙訓郡長岡村[2]、すなわち長岡京(現在の京都府向日市)に因んだものである。同時に広根諸勝も臣籍降下している。

嵯峨朝弘仁元年(810年従五位下叙爵された。弘仁6年(815年)6月に散位頭に叙せられ、同月には弟・良岑安世嵯峨源氏8名と共に左京貫付された。弘仁13年(822年)従五位上に叙爵された。

淳和朝から仁明朝初頭まで昇進し、天長2年(825年正五位下、天長9年(832年従四位下、天長10年(833年)従四位上に至った。以降、仁明朝では昇進することなく、嘉祥元年(848年)12月1日卒去。最終官位は散位従四位上。

官歴

六国史』による。

系譜

貞観年間前半に三河守駿河守を歴任した長岡秀雄は息子か。

脚注

参考文献

関連項目

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