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長谷部久雄
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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長谷部 久雄(はせべ ひさお、1933年7月17日 - 2017年12月27日[1])は、将棋棋士。1993年、引退。大和久彪八段門下。棋士番号は67。千葉県千葉市出身。
棋歴
21歳でプロデビュー。
初参加の第11期(1956年度)C級2組順位戦で9勝3敗・2位の成績を収め、1期で昇級。
第14期(1959年度)C級1組順位戦で、7勝2敗・2位の成績でB級2組へ昇級。つづく第15期B級2組順位戦で8勝3敗の2位で、2期連続昇級で自己最高のB級1組に昇級。以降、B級1組とB級2組との間を3往復する。
第3期(1964年度)十段戦で、難関の十段リーグに入るが、2勝8敗の成績に終わる。リーグには升田幸三、二上達也、加藤一二三らがいた。
1966年、第8期棋聖戦で加藤一二三、中原誠らを破り決勝に進むが、二上達也に敗れ、タイトル挑戦はならなかった。
第10期(1969年度)王位戦で、中原誠らを破りリーグ入り。
第10回(1971年度)王座戦で有吉道夫、二上達也、大山康晴らを破り挑戦者決定戦に進むが、加藤一二三に敗れる。
テレビ棋戦の早指し将棋選手権の第12回(1978年度)と第14回(1980年度)で、ともに4回戦に進出。
第21期(1980年度)王位戦でリーグ入り。有吉道夫、勝浦修らに勝ったが、中原誠と谷川浩司に負けて3勝2敗となり、挑戦者決定戦には進めなかった。
C級1組において降級点を1個抱え、C級2組への降級の危機に瀕した状態で臨んだ第51期(1992年度)順位戦では、3勝7敗と不振ながら剣が峰で降級を回避するも、当期限りで引退。延べ36期参加した間、順位戦における通算勝率はちょうど5割であった。
2017年12月27日、千葉市内の自宅で死去、84歳没[2][1]。葬儀は近親者のみで営まれたという。将棋連盟からの訃報発表は死後約1ヶ月後、年が変わってからの2018年1月23日であった[1]。死因は未公表。2月28日にお別れの会が行われた[1]。
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棋風
基本的には居飛車党で、矢倉、角換わり、相掛かり系を指すが、四間飛車、中飛車などの振り飛車も指した。
終盤での切れ味に特徴がある棋風であった。
人物
1983年から日本将棋連盟常務理事。1989年から1992年は専務理事を務めた。
タイトル戦の立会人を務めることが多かった。
昇段履歴
主な成績
通算成績
- 541勝568敗
優勝
- 第5回(1960年度)高松宮賞争奪選手権戦 高松宮賞1回
- 優勝合計1回
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
表彰
- 現役勤続25年表彰(1980年)
- 第22回将棋大賞「東京将棋記者会賞」(1995年3月)
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栄典
脚注
関連項目
外部リンク
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