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阿部良男
日本のプロ野球選手 (1949-2017) ウィキペディアから
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阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017年6月29日[要出典])は、宮城県石巻市出身[1]のプロ野球選手(外野手)。
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来歴・人物
宮城水産高校を卒業後、クラブチームのオール常磐(旧:常磐炭鉱)に進む。1966年の都市対抗で活躍、準々決勝に進出するが日本石油(エースは平松政次)に抑えられ敗退[2]。チームメイトに、後にプロ入りする矢部祐一がいた。1968年のドラフト4位指名で、西鉄ライオンズへ入団[1]。
1969年から一軍で活躍し、右翼手、中堅手として69試合に先発出場、同年のジュニアオールスターにも選出される。
1971年には開幕から一番打者として起用され、104試合に出場。
1972年には中堅手の定位置を得て、初の規定打席(打率.256)に達する。
1973年には福富邦夫の移籍入団もあり、出場機会が減少した。同年オフ、藤井栄治との交換トレードで阪神タイガースに移籍。
1974年は僅か11試合の出場にとどまり、同年暮れに自由契約選手となる。
1975年、ロッテオリオンズに拾われる形で移った。だが、ここでは2軍暮らしに終始し、同年オフに現役引退。
その後は、「明石良男(あかし よしお)」と改名して福岡市に在住し、少年硬式野球チーム「糟屋ホワイトソックス」を指導していた。
2017年6月29日、死去。71歳没[要出典]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に球団名を変更
背番号
- 35 (1969年 - 1971年)
- 9 (1972年 - 1973年)
- 19 (1974年)
- 48 (1975年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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