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矢部祐一

日本のプロ野球選手 (1946-2011) ウィキペディアから

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矢部 祐一(やべ ゆういち、1946年8月24日 - 2011年4月3日)は、福島県出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

田村高校では投手で四番打者。1964年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東北大会準決勝に進出するが、加藤俊夫らがいた仙台育英に敗退。

高校卒業後はオール常磐(旧常磐炭鉱)に進み、バッティングを買われ三塁手に転向した。1966年都市対抗で準々決勝に進出するが、日本石油平松政次に抑えられ敗退[1]1968年都市対抗では、富士鉄釜石に補強されて出場した。ノンプロでの通算成績は37試合、144打数48安打、打率.333、10本塁打。チームメートに阿部良男がいた。

1967年のドラフト会議南海ホークスから7位指名を受けるが拒否。翌1968年のドラフト会議読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。ジャイアンツでは1970年ジュニアオールスターにも選出されるが、在籍4年で一軍出場は5試合に終わる。

1972年オフに第3回選抜会議(トレード会議)の対象となり、大洋ホエールズに移籍。ここでは在籍2年で一軍出場はなく、1974年に引退した。その後は大洋でスコアラーも務めた。

2011年4月3日午後2時51分、食道がんのため東京都多摩市の病院で死去。64歳没[2]

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 2 (1969年)
  • 57 (1970年 - 1974年)
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脚注

関連項目

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