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風岡尚幸
日本のプロ野球選手 (1968-) ウィキペディアから
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風岡 尚幸(かざおか なおゆき、1968年1月24日 - )は、愛知県春日井市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ。
![]() | この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2015年10月) |
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来歴・人物
プロ入り前
中部大春日丘高[注 1]より、1985年のドラフト会議で阪急ブレーブスに6位指名されて入団。背番号は62。安定した遊撃の守備は「弓岡2世」と評された。
阪急・オリックス時代
1988年に初めて一軍公式戦に出場。
1991年に38試合に出場。その後は1年おきに一軍に40 - 60試合出場する。
1993年オフに背番号を37に変更。
阪神時代
1998年は61試合に出場する(出場試合数は自身2番目に多かった)。
1999年以降は一軍出場が無かった。
2000年に現役を引退。翌年よりコーチに転身し、背番号も87に変更された。
現役引退後
2001年から2002年まで阪神で二軍守備・走塁コーチを務めた。
2005年からは地元に戻り、中日ドラゴンズの二軍内野守備・走塁コーチを務めた。背番号は74。
2010年は二軍監督に転身した川相昌弘に代わって一軍内野守備・走塁コーチに配置転換されたが、6月3日の時点で12球団最多の失策数だったために、シーズン途中で二軍内野守備・走塁コーチに転じ[1]、同年退団した。

2011年からは阪神に再び戻り、二軍守備・走塁コーチを務める[2]。背番号は73。
2013年、11月26日から台湾で開催された2013アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPB選抜の内野守備走塁コーチを務めた。
2015年は、一軍守備・走塁コーチとなったが[3]、10月15日に今季限りのコーチ契約であることを伝えられた[4]。
2016年からは古巣のオリックスに戻り一軍内野守備走塁コーチに就任[5]。背番号は76。同年は4年ぶりの最下位に終わった。
2017年も同職を務めたが、チーム78失策のうち、48失策は内野陣の拙守が散見されたと『週刊ベースボール』で指摘され、盗塁数も12球団最少の33だった[6]。11月25日から台湾で開催される2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、4年ぶりにNPBウエスタン選抜の内野守備走塁コーチを務めた[7]。
2019年は一軍ヘッドコーチを務めたが[8]、3年ぶりの最下位に終わった。
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家族
次男の風岡賢汰はKMGホールディングス硬式野球部に所属する[13]社会人野球選手(内野手)[14]。同部所属前はハナマウイ野球部に所属し、2024年の主将を務めた[15]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更
記録
- 初記録
- 初出場:1988年10月22日、対ロッテオリオンズ戦(阪急西宮球場)、9番・遊撃手で先発出場、2打数無安打(投手・小川博)
- 初安打:1991年5月1日、対日本ハムファイターズ戦(姫路市立姫路球場)、津野浩から単打
- 初打点:1992年9月22日、大阪近鉄バファローズ戦(グリーンスタジアム神戸)、11回裏に赤堀元之からサヨナラ適時打
背番号
- 62(1986年 - 1993年)
- 37(1994年 - 2000年)
- 87(2001年 - 2004年)
- 74(2005年 - 2010年)
- 73(2011年 - 2015年)
- 76(2016年 - )
代表歴
- 2013アジアウインターベースボールリーグ:NPB選抜:内野守備走塁コーチ
- 2017アジアウインターベースボールリーグ:NPBウエスタン選抜:内野守備走塁コーチ[7]
脚注
関連項目
外部リンク
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