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高木成太
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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髙木 成太(たかき なりた、1977年4月5日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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略歴
1993年長崎県立国見高校に入学。全国高等学校サッカー選手権大会に2度(第73回 (1994年)、第74回 (1995年))出場したが、第73回は3回戦、第74回は2回戦で敗退した。なお、同級生に船越優蔵、松本磨、百武義成などがいる。
ブレイズ熊本所属時にASAYANのJリーガーオーディションで落選したが、これがきっかけのひとつとなりヴェルディ川崎に入団した[1]。
横浜FC草創期のメンバーで、JFLからJ2への昇格を果たした時の中心選手。2005年のアルテ高崎所属時には、天皇杯3回戦で横浜FCと三ツ沢球技場で対戦した際に横浜FCサポーターから大きなブーイングを受けた。また、試合終了後には三浦知良とユニフォーム交換もしている[2]。
FC岐阜所属時の2006年12月16日、自身の公式ファンサイトにおいてFC岐阜を退団して当時三重県リーグ所属だったM.I.E.ランポーレFCへ移籍し、2007年1月13、14日の東海社会人サッカートーナメント大会を最後に引退することを表明[3]。三重県営鈴鹿スポーツガーデンで行われた東海社会人トーナメントでランポーレの東海社会人サッカーリーグ昇格を果たし、プロ選手としてのキャリアを終了する。なお東海社会人トーナメントの結果は、13日のFCゴール(愛知県1位)は4-0、14日のヤマハ発動機(静岡県1位)は1-0で勝利した[4]。
2007年2月20日横河武蔵野FCユースの監督となったが、同年4月5日(本人の誕生日)監督を辞して、同年6月より墨田区および葛飾区を中心とした総合型スポーツクラブ「NSP FC」の立ち上げに参画。また、2007年度より2010年度まで横浜FCサッカースクール スクールマスターでもあった。
2009年度より東京都リーグ4部所属のNSP FCトップチームでアマチュアとして現役復帰することを表明し[5]、2008年12月14日から同クラブにて東京都北区サッカー協会会長杯の初戦から選手として復帰。優勝をしている[6]。
2010年11月、FC鈴鹿ランポーレの監督に就任し、翌年からの指揮を執ることが発表された。選手としても登録されている。2012年10月、就任2年目にして東海リーグを制す。開幕戦から1度も首位に立つことなく最終戦にFC岐阜SECONDに逆転勝利し、逆転優勝した[7]。
2014年12月、4年間務めたFC鈴鹿ランポーレの監督を退任[8]。その後はFC鈴鹿ランポーレの強化部長を務めていたが、2015年2月に退団が発表された[9]。
2015年4月投開票の鈴鹿市議会議員選挙に立候補し[10]、1,293票を得票したが落選した[11]。2016年4月からは東京23FC U-18チームの監督に就任している[12]。
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所属クラブ
個人成績
脚注
関連項目
外部リンク
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