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高森町立高森東小学校
熊本県高森町にある小学校 ウィキペディアから
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高森町立高森東小学校(たかもりちょうりつたかもりひがししょうがっこう)は、熊本県阿蘇郡高森町大字野尻にあった公立の小学校。
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2017年(平成29年)3月末をもって閉校し、高森町立高森東中学校と統合の上、「高森町立高森東学園義務教育学校」(義務教育学校)となった。
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概要
沿革
- 旧・野尻小学校(のじり)
- 1873年(明治6年) - 民家を教場として、小学校教育を開始。
- 1876年(明治9年)- 神風連の乱が起こる。
- 1877年(明治10年)2月から9月 - 西南の役が起こる。当校の所在した津留にも、鎮台兵(広島・名古屋)が一時駐屯したが、薩摩軍が通過することがなく、両軍の衝突は起きなかった。終結後、学校を再開。
- 1879年(明治12年)- 「公立津留小学校」と改称。
- 1880年(明治13年)- 学年(年度)を「1月始まり、12月終わり」とする。
- 1881年(明治14年)- 学年(年度)を「9月始まり、7月終わり(8月休業)」とする。
- 1882年(明治15年)3月 - 津留40番地に移転。
- 1885年(明治18年)- 児童数の増加に伴い、校舎を増築。
- 1886年(明治19年)[1]4月 - 小学校令施行に伴い、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常津留小学校」に改称。補習科を併設。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、阿蘇郡4村(津留・野尻・尾下・河原)が統合の上、「野尻村」が発足。
- 1890年(明治23年)- 永野分校(簡易科)を設置。
- 1892年(明治25年)-「津留尋常小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)11月 - 校舎を増築(1891年(明治24年)の暴風雨で倒壊した校舎一部が復旧)。
- 1903年(明治36年)5月29日 - 夜に上町から出火し、類焼で校舎が全焼。当面の間、村内数ヶ所での分散授業を余儀なくされる。
- 1905年(明治38年)- 高等科(4年制)を併置の上、「津留尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 木造2階建ての新校舎が完成。改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより従来の尋常科4年・高等科4年を「尋常科6年・高等科2年」に改める。
- 1910年(明治43年)- 校歌を制定。作詞・作曲は当時勤務の訓導、赤星喜重。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 「野尻尋常高等小学校」に改称。尋常小学校2校(尾下・河原)を統合の上、それぞれ「尾下分教場」・「河原分教場」とする。
- 1926年(大正15年)
- 7月 - 青年訓練所が併置される。
- 9月 - 永野分校を高群の地に移転・新築し復活。河原分校に高等科を設置。
- 1927年(昭和2年) - 青年訓練所と農業補習学校が統合され、「青年訓練所充当野尻公民学校」となる。
- 1935年(昭和10年)9月 - 青年学校令施行により、併置の青年訓練所充当野尻公民学校が「野尻青年学校」となる。
- 1927年(昭和13年)9月1日 - 河原分教場が分離の上、野尻北部尋常高等小学校として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「野尻村野尻国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1946年(昭和21年)7月31日 - 尾下分教場が分離の上、野尻村尾下国民学校として独立。
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)
- 1953年(昭和28年)11月 - 新校舎が完成。
- 1955年(昭和32年)8月1日 - 野尻村が高森町に編入され、「高森町立野尻小学校」(最終名)と改称。
- 1965年(昭和40年)7月 - へき地集会所が完成。
- 1966年(昭和41年)6月 - 完全給食を開始。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 永野分校を廃止。
- 1972年(昭和47年)10月 - プールが完成。
- 1974年(昭和49年)3月21日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 野尻中学校が高森町立高森東中学校への統合のため閉校。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 高森町立尾下小学校を統合。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 統合のため閉校。122年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地(野尻小学校) - 熊本県阿蘇郡高森町津留40番地(北緯32度49分49.5秒 東経131度15分43.8秒)
- 旧・尾下小学校(おくだり)
- 1874年(明治7年) - 「尾下小学校」が創立。
- 1892年(明治25年)- 「尾下尋常小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1910年(明治43年)- 木造新校舎が完成。
- 1923年(大正12年)4月 - 統合により「野尻尋常高等小学校 尾下分教場」と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 -「野尻村野尻国民学校 尾下分教場」と改称。
- 1946年(昭和21年)7月 - 野尻国民学校から分離の上、「野尻村尾下国民学校」として独立。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 新制小学校「野尻村立尾下小学校」に改組・改称。
- 1953年(昭和28年)- 木造新校舎が完成。
- 1957年(昭和32年)8月1日 -「高森町立尾下小学校」と改称。
- 1967年(昭和42年)- 運動場を拡張。
- 1969年(昭和44年)- 完全給食を開始。
- 1975年(昭和50年)- プールが完成。
- 1992年(平成4年)3月31日 - 高森町立野尻小学校への統合により閉校。
- 最終所在地(尾下小学校) - 熊本県阿蘇郡高森町尾下4009番地(北緯32度51分31.4秒 東経131度15分24.8秒)
- 旧・河原小学校(かわら)

- 1873年(明治6年)- 味鳥地区の寺院を教場として創立。
- 1882年(明治15年)- 河原地区に移転し、「公立河原小学校」に改称。黒岩分校を設置。
- 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易河原小学校」に改称。
- 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常河原小学校」に改称。
- 1892年(明治25年)-「河原尋常小学校」と改称。
- 1905年(明治38年)- 高等科(2年制)を併置の上、「河原尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、2年制の高等科を新設の尋常科5・6年に改める。そのため校名が「河原尋常小学校」(尋常科6年)になる。
- 1909年(明治42年)- 木造新校舎が完成。
- 1917年(大正6年)- 校門石柱を設置。
- 1922年(大正11年)- 運動場を拡張。
- 1924年(大正13年)- 統合により「野尻尋常高等小学校 河原分教場」となる。
- 1926年(大正15年)- 高等科が併置される。
- 1928年(昭和3年)- 校舎を増築。
- 1938年(昭和13年)- 野尻尋常高等小学校から分離の上、「野尻北部尋常高等小学校」として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「野尻村野尻北部国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、新制小学校「野尻村立野尻北部小学校」と改称。野尻村立野尻中学校 河原分校が併置される。
- 1955年(昭和30年)- 新校舎が完成。運動場を新設。
- 1957年(昭和32年)8月1日 - 高森町への編入により、「高森町立野尻北部小学校」と改称。
- 1960年(昭和35年)4月1日 -「高森町立河原小学校」と改称。中学校分校が「高森町立河原中学校」として独立。
- 1961年(昭和36年)- へき地集会所が完成。
- 1966年(昭和41年)6月 - 完全給食を開始。
- 1972年(昭和47年)- 岩石園が完成。校章を制定。へき地2級地に指定される。
- 1977年(昭和52年)頃 - 鉄筋コンクリート造新校舎が完成し、移転を完了。所在地が「高森町河原3113番地1」となる。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 河原中学校が高森町立高森東中学校への統合のため閉校。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 統合のため閉校。122年の歴史に幕を閉じる。
- 移転前所在地(河原小学校)- 熊本県阿蘇郡高森町河原1138番地(北緯32度53分09.3秒 東経131度14分49.1秒)
- 跡地は「河原総合センター」となっている。正門の石柱が残されており、「河原小学校跡」の看板が掲げられている。
- 最終所在地(河原小学校)- 熊本県阿蘇郡高森町河原3113番地1(北緯32度53分05.0秒 東経131度14分28.3秒)
- 跡地にはカフェがオープンしている。
- 移転前所在地(河原小学校)- 熊本県阿蘇郡高森町河原1138番地(北緯32度53分09.3秒 東経131度14分49.1秒)
- 旧・草部北部小学校(くさかべほくぶ)
- 1874年(明治7年) 3月10日 - 「矢津田小学校」が創立。
- 1881年(明治14年)3月 - 中村小学校[2]を合併。
- 1886年(明治19年)4月 - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常矢津田小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、阿蘇郡7村(芹口・草部・菅山・永野原・下切・矢津田・中)が合併し「草ヶ矢村」が発足。
- 1892年(明治25年)-「矢津田尋常小学校」に改称。
- 1894年(明治27年)1月12日 - 村名が草ヶ矢村から「草部村」に改称。
- 1898年(明治31年)12月 - 中村尋常小学校が分離・独立。
- 1900年(明治33年)4月 - 校舎が完成。
- 1905年(明治38年)4月 - 高等科を併置の上、「矢津田尋常高等小学校」と改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより高等科2年分を尋常科5・6年に振り替えたため、高等科が廃止となり、「矢津田尋常小学校」(尋常科6年)と改称。
- 1922年(大正11年)3月 - 尋常小学校2校(矢津田・中)の統合により、「草部北部尋常高等小学校」を創立。各校舎を「矢津田分教場」・「中教場」とし、統合校舎完成までの間、分散授業を継続。
- 1928年(昭和3年)7月 - 新校舎が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「草部村草部北部国民学校」と改称。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 4月1日 - 国民学校初等科は、新制小学校「草部村立草部北部小学校」に改組・改称。
- 4月 - 国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「草部村立草部中学校草部北部分校」に改組・改称。
- 1952年(昭和26年)6月 - 中学校分校校舎の完成により、併設を解消。
- 1953年(昭和28年)
- 4月 - 木造新校舎が完成。
- 6月 - 土砂崩れにより、校舎が倒壊。
- 1954年(昭和29年)5月 - 校舎が完成(復旧)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 「高森町立草部北部小学校」と改称。
- 1959年(昭和34年)4月 - 中学校分校が「高森町立草部北部中学校」として独立。
- 1961年(昭和36年)1月 - へき地集会所が完成。
- 1965年(昭和40年)5月 - 完全給食を開始。
- 1973年(昭和48年)
- 4月 - 1・2年生が複式学級となる。
- 7月 - 校歌を制定。
- 9月 - プールが完成。
- 1974年(昭和49年)
- 4月 - 集会所に保育所を併設。
- 11月3日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 草部北部中学校が高森町立高森東中学校への統合のため閉校。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 統合のため閉校。121年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地(草部北部小学校) - 熊本県阿蘇郡高森町矢津田223番地(北緯32度49分24.8秒 東経131度11分32.8秒)
- 跡地は「高森自然学校」として使用されている。
- 旧・草部南部小学校(くさかべなんぶ)
- 高森町立草部南部小学校#沿革を参照。
- 最終所在地(草部南部小学校) - 熊本県阿蘇郡高森町矢津田223番地(北緯32度46分58.1秒 東経131度12分59.7秒)
- 統合・高森東小学校
- 1995年(平成7年)4月1日 - 高森町立小学校3校(野尻・河原・草部北部)が統合し、「高森町立高森東小学校」が新設される。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 高森町立草部南部小学校を統合。
- 2017年(平成29年)
- 3月31日 - 統合のため閉校。22年の歴史に幕を閉じる。
- 4月1日 - 高森町立高森東中学校と統合の上、「高森町立高森東学園義務教育学校」となる。
- 最終所在地(草部南部小学校) - 熊本県阿蘇郡高森町矢津田223番地(北緯32度49分27.3秒 東経131度14分41.7秒)
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交通アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 九州産交バス「蔵地」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 高森町立高森東幼稚園
脚注
参考文献
関連項目
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