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黄善洪

韓国の元サッカー選手 ウィキペディアから

黄善洪
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黄 善洪(ファン・ソノン、ファン・ソンホン、황선홍1968年7月14日 - )は、大韓民国出身の同国代表の元サッカー選手本貫平海黄氏[1]。ニックネームはファンセ(황새コウノトリ)。

概要 黄 善洪, 名前 ...

ボレーシュート、ヘディングなど浮き球に対するダイレクトシュートに優れ、多くのゴールを挙げた。ポストプレーの技術も高かった [2] 。日本での登録名は「ファン・ソンホン」。

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クラブ経歴

大学卒業後、ドイツ下部リーグでプロキャリアをスタートさせ、1993年ドラフト完山ピューマ(現・全北現代モータース)に指名されるが、1対5という異例のトレードで浦項製鉄アトムズに入団。

1998年セカンドステージからセレッソ大阪に移籍、第6節の横浜マリノス戦でJリーグ初ゴール[3]。翌1999年は、3月20日、第3節のベルマーレ平塚戦で1999年初ゴール[4]、1stステージ8節のアビスパ福岡戦では後にJリーグ30周年ベストゴールのボレー/オーバーヘッド部門にもノミネートされるゴールを決めた[5]。セカンドステージ9節のヴィッセル神戸戦でハットトリックを決め[6]、またガンバ大阪とのダービーではファーストステージ、セカンドステージ共にゴールを挙げるなど、24ゴールを挙げて得点王のタイトルを獲得している。(同年は11アシストを記録するなど、週刊サッカーマガジン選出の年間ベストイレブンにも選ばれた[7] 。)韓国人選手が得点王に輝いたのはJリーグ史上初であり、2015年終了時点でもJ1、J2、J3を含めてこの時の黄ただ一人である。同年にはJリーグたらみオールスターサッカー に先発出場し、1ゴールを決めた[8]

セレッソに在籍した外国籍選手でリーグ戦通算最多得点記録保持者(36試合/30得点)であり、1試合当たりの得点率も1位。

2000年に韓国に復帰したが思うように活躍できず、2000年5月にサーシャ・ドラクリッチとのトレードで、Jリーグ2ndステージ途中より柏レイソルに加入[2]、11月18日の川崎フロンターレ戦での決勝ゴール[9]は移籍後初ゴールとなった。同じ韓国の洪明甫柳想鐵とプレー。2シーズン半を過ごすが、怪我や韓国代表での活動を優先させたことも影響し、セレッソ時代の様な活躍が出来ず、2002年には負傷でほとんどプレーが出来ず、シーズン途中に契約解除された[10]。その後全南ドラゴンズに移籍したが、怪我が直らず2003年2月に引退した。

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代表経歴

韓国代表としては洪明甫と共に1990年から2002年まで4大会連続でFIFAワールドカップにメンバー入りした。1988年に開催されたAFCアジアカップ日本戦で韓国代表デビューし初得点をマークした。1990年のイタリアW杯では2試合に出場した。1994年アメリカ大会ではドイツ戦でゴールを決めるが[11]ボリビア戦では何度か決定機を逃した。1998年フランス大会は試合に出場しなかったが、2002年日韓大会では初戦のポーランド戦で韓国の快進撃をスタートさせる先制ゴールを決めた。1994年のアジア大会、グループリーグのネパール戦では一人で8ゴールを挙げ[12]11-0での勝利に貢献、同大会では日本戦でも2ゴールを挙げるなど、大会得点王を獲得した。

同年11月に行われたブラジル戦をもって洪明甫と共に代表から引退したが、それにつれ現役からも引退した。

指導者経歴

引退後は指導者の道へ進み、2007年からは釜山アイパークの監督に就任。

2011年からはかつて在籍した浦項スティーラースの監督を務めた。2012年の韓国FAカップ優勝が監督として初タイトルとなった。

2013年は初のリーグ戦優勝を達成。2015年シーズン終了後退任。

2016年FCソウルの監督に就任しKリーグクラシックの優勝を果たしたが、2018年4月成績不振で辞任。

2018年10月、中国甲級の朝鮮人系クラブである延辺富徳足球倶楽部の監督に就任するが、シーズン開始を待たずにクラブが税金未納などで破綻。公式戦では1試合も指揮することはなく、シーズン前の韓国キャンプでのみの指導に終わった[13]

2021年からU-23韓国代表の監督に就任。また、2024年3月に行われた 2026年北中米W杯アジア2次予選タイ戦を代行監督として指揮した[14]2024年パリ五輪出場権を懸けたAFC U23アジアカップ2024では準々決勝でインドネシアにPK戦の末敗戦。40年ぶりに五輪の出場を逃した[15]。これを受け、U23韓国代表監督を解任された。

2024年6月3日、大田ハナシチズンの監督に再び就任(第15代監督)[16][17]

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所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 104試合 50得点(1988年-2002年)[18]
さらに見る 韓国代表, 国際Aマッチ ...

タイトル

指導歴

出典

関連項目

外部リンク

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