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黒田一博
日本のプロ野球選手 (1924-2007) ウィキペディアから
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黒田 一博(くろだ かずひろ、1924年〈大正13年〉9月13日 - 2007年〈平成19年〉8月17日)は、長崎県佐世保市出身[1]のプロ野球選手(外野手、内野手)。ボーイズリーグのオール住之江創設者・監督。
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来歴
長崎県立佐世保商業学校卒業。戦後に軍役生活から戻って、地元:長崎にある青木産業の軟式野球チームに入って野球を再開。捕手を務め、国体では決勝戦進出を果たした[2]。国体での活躍が注目され、社会人野球の強豪である八幡製鐵にスカウトされ、そのまま加入[2]。大岡虎雄、深見安博ら強打者と出会って打撃技術を向上させ、内・外野の守備練習に取り組んだ[2]。1949年に南海ホークスに入団[1]。
南海入団後間もなくレギュラーに定着し、「6番打者・中堅手」として出場[3]。1951年からのリーグ3連覇に貢献[3]。
1954年、この年結成された高橋ユニオンズへ移籍[1]。1956年に大映スターズへ移籍[1]。この年限りで現役を引退[1]。
1958年に大阪市で、スポーツ用品店「黒田スポーツ」を開店[3]。また、ボーイズリーグ:オール住之江を設立して自ら監督を務め、川井貴志、田上秀則ら多くの選手を育て上げた[1]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 高橋(高橋ユニオンズ)は、1955年にトンボ(トンボユニオンズ)に球団名を変更
背番号
- 8(1949年 - 1953年)
- 25(1954年 - 1955年)
- 6(1956年)
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参考文献
- 森岡浩編著「プロ野球人名事典 2003」(日外アソシエーツ、2003年4月)
- ベースボール・マガジン社編「完全版プロ野球人国記 九州・沖縄編」(ベースボール・マガジン社、2004年6月10日)
- 森岡浩編著「プロ野球人名事典 2001」(日外アソシエーツ、2001年5月)
脚注
関連項目
外部リンク
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