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黒田勉
日本の野球選手(1936-2017) ウィキペディアから
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黒田 勉(くろだ つとむ、1936年8月28日 - 2017年10月15日[1] )は、神奈川県藤沢市[2]出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
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来歴・人物
中学時代は陸上と野球を掛け持ちでやっており両方の部活で活躍した[2]。湘南高校に進学するも陸上と野球の掛け持ちが認められずここでは陸上部に所属した[2]。1年夏のインターハイ終わりに鶴見工業高校へ転校[2]。鶴見工業では陸上と野球を掛け持ちし、2年夏もインターハイに出場した[2]。
1954年、エースとして第36回全国高等学校野球選手権大会に出場、鶴見工は夏の選手権初出場であった[2]。1回戦で黒木基康のいた高鍋高に大勝するが、2回戦で高知商の片田謙二に抑えられ敗退[3]。
社会人野球の日本鋼管に進み、1955年の都市対抗に日本石油の補強選手として出場。2回戦では大丸を相手に先発し好投、勝利投手となる。準決勝でもリリーフに立つが、全鐘紡打線に打ち込まれ敗退した[4]。
1956年に近鉄パールスに入団[2]。1年目から先発陣の一角として起用され6勝を挙げる。翌1957年は9勝20敗であったが、防御率2.50はリーグ9位の成績だった。1962年もチーム最多の32試合に先発し8勝23敗を記録する。1965年を最後に現役引退した[2]。球種はスライダー、シュート、ドロップ。
通算成績は38勝93敗。負け越し数55は小林経旺に次ぐプロ野球ワースト2位の記録である。
晩年は生駒東少年野球クラブにて部長を務めていた。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 22 (1956年 - 1965年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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