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1932年の政治
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5月

- 5月5日 - 上海停戦協定調印。
- 5月6日 - 仏大統領ポール・ドゥメール暗殺事件(7日死去)。
- 5月10日 - アルベール・ルブランが仏大統領に就任。
- 5月13日 - 独、ヴィルヘルム・グレーナー将軍が国防相を辞任。兼摂していた内相職には留まる。
- 5月15日 - 五・一五事件。犬養毅首相が首相官邸を襲撃した海軍青年将校らに暗殺される。
- 5月16日 - 高橋是清蔵相が内閣総理大臣を臨時兼任。
- 5月17日 - 鈴木喜三郎が立憲政友会総裁に選出される。
- 5月26日 - 犬養内閣総辞職。斎藤内閣成立。
- 5月29日
- 5月30日 - 独ハインリヒ・ブリューニング首相辞任。ブリューニング内閣総辞職[4][5]。
6月

7月
- 7月5日 - ポルトガルでアントニオ・サラザール内閣成立。
- 7月20日 - 独パーペン内閣、プロイセンの社会民主党を大統領緊急命令で転覆(プロイセン・クーデター)。
- 7月25日 - ソ連・ポーランド不可侵条約調印。
- 7月31日 - 1932年7月ドイツ国会選挙。ナチス党が230議席を獲得し第一党となる[10]。
8月
9月
10月
11月
12月
- 12月2日 - ヒンデンブルク大統領、クルト・フォン・シュライヒャー将軍を首相に任命[18]。
- 12月3日 - シュライヒャーが首相に就任[18]。シュライヒャー首相、ナチス党組織全国指導者のグレゴール・シュトラッサーに副首相での入閣を要請。
- 12月4日 - テューリンゲン州議会選挙。ナチス党は前回選挙より40パーセント議席を減らす。
- 12月5日 - ベルリンのホテル・カイザーホーフでナチス党指導者会議開催。シュトラッサーは入閣を主張、ヒトラーと対立。
- 12月7日 - ヒトラー、シュトラッサーの行動を「党内分裂行動」「最終的勝利5分前で私の背中を刺す行為である」として弾劾。
- 12月8日 - シュトラッサー、党組織全国指導者など党の役職を辞任。
- 12月10日 - シャム国王が憲法を承認(立憲君主制へ移行)。
- 12月24日 - 第64通常議会召集。
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脚注
参考文献
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