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1950年の南海ホークス
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1950年の南海ホークス(1950ねんのなんかいホークス)では、1950年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、2リーグ制となった1年目のシーズンであり、鶴岡一人選手兼任監督の5年目のシーズンである(当時は山本一人)。
概要
1949年オフのプロ野球再編騒動を受け、ホークスはパシフィック・リーグに加盟。チームは失ったペナント奪回のため、蔭山和夫などが新しく入団。蔭山や笠原和夫、黒田一博など若手選手の活躍もありチームは5月まで新加盟の毎日に食らいついたものの、6月以降は徐々にゲーム差を広げられ、さらに後述の放棄試合などもありチームはパ・リーグ1年目のシーズンを2位で終えた。投手陣は前年の投壊がやや改善されてチーム防御率が3.38でリーグ1位、打撃陣はリーグ3位の88本塁打ながらもパ・リーグ唯一の200盗塁以上(225盗塁)を記録し、打率もリーグ2位の.279だった。
この年の9月12日に大阪球場が開場[2]。公式戦初開催を予定していた9月16日の2試合(南海対阪急、東急対近鉄)が雨天中止となり[3]、翌9月17日の2試合(近鉄対阪急、南海対東急)が公式戦初開催となった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 松葉昇 |
---|---|---|
2 | 三 | 木塚忠助 |
3 | 右 | 笠原和夫 |
4 | 一 | 飯田徳治 |
5 | 左 | 堀井数男 |
6 | 遊 | 長沢正二 |
7 | 捕 | 筒井敬三 |
8 | 投 | 柚木進 |
9 | 二 | 蔭山和夫 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 毎日オリオンズ | 81 | 34 | 5 | .704 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 66 | 49 | 5 | .574 | 15.0 |
3位 | 大映スターズ | 62 | 54 | 4 | .534 | 19.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 54 | 64 | 2 | .458 | 28.5 |
5位 | 西鉄クリッパース | 51 | 67 | 2 | .432 | 31.5 |
6位 | 東急フライヤーズ | 51 | 69 | 0 | .425 | 32.5 |
7位 | 近鉄パールス | 44 | 72 | 4 | .379 | 37.5 |
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できごと
- 8月14日 - 富山球場での大映スターズ15回戦、9回表、大映の板倉正男はライトの黒田一博の前にフライを打つが、長谷川信義塁審は「一度捕ったが落球した」と判断して「セーフ」の判定。これに山本一人監督兼内野手は「ダイレクトで捕った」と猛抗議。40分の中断の末に南海側の「放棄試合」となる。「トラブルで試合続行を拒否」しての放棄試合はこれが初。その後9月1日に裁定が下され、「南海球団に制裁金10万円」の処分が出るが、山本監督兼内野手には「謹責処分」が下される(放棄試合で監督に罰金が出なかったのは唯一)。
→詳細は「没収試合 § 日本プロ野球」を参照
選手・スタッフ
表彰選手
出典
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