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1946年の近畿グレートリング
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1946年の近畿グレートリング(1946ねんのきんきグレートリング)では、1946年の近畿グレートリングの動向をまとめる。
この年の近畿グレートリングは、職業野球公式戦再開1年目のシーズンである。
概要
前年の東西対抗戦に出場した選手に加えて、兵役等から復帰する選手や新入団選手を受け入れて、職業野球の再開に臨んだ。チームは6月終了時点で貯金3の4位と5割強の成績に留まっていたが、7月・8月に貯金19を一気に重ねて首位に躍り出た。最終盤まで巨人と優勝を争ったが1ゲーム差で逃げ切り、職業野球再開後初のシーズンを球団史上初の優勝で飾った。対戦成績は2位の巨人に6勝8敗1分と負け越したが、新球団で5位のセネタースに12勝3敗で貯金9を稼いだ。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 安井亀和 |
---|---|---|
2 | 三 | 宮崎仁郎 |
3 | 中 | 岡村俊昭 |
4 | 一 | 山本一人 |
5 | 左 | 堀井数男 |
6 | 右 | 丸山二三雄 |
7 | 遊 | 桶川隆 |
8 | 投 | 松川博爾 |
9 | 捕 | 筒井敬三 |
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個人成績
主な投手成績
- 色付きは規定投球回数(150イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
できごと
- 4月30日 - 藤井寺球場における初のプロ野球公式戦、グレートリング対阪急戦が行われ、5対2で阪急が勝利する。
- 7月15日 - グレートリングが8回に対ゴールドスター戦において、8回に1イニング11安打と、1試合で28安打のそれぞれ日本プロ野球記録を更新、プロ野球史上3度目の毎回安打、全員安打を達成している。この日登板したグレートリングの別所毅彦が8回、1イニングで本塁打と三塁打を記録している。試合は26対0でグレートリングの勝利[2]。
- 10月4日 - パシフィックが元の所属球団の了解を得ぬまま契約した白石敏男とヴィクトル・スタルヒン(以上 元巨人)と藤井勇(元阪神)の3名を強引出場させた4試合に対し、巨人・阪神からの抗議を受け入れた連盟は、5月20日のセネタース戦、23日と26日のグレートリング戦、5月24日の阪急戦を全て「没収試合」とする。これにより、唯一パシフィックに負けていた26日のグレートリング戦が「9×0」でグレートリングの勝ちに変更された。
- 11月5日 - この日、巨人が敗れたため、既に全日程を終了したグレートリングが球団創立以来初の優勝が決定する[3]。なお最終的にはグレートリングと巨人のゲーム差は1ゲームとなり、5月26日のパシフィック×グレートリング戦がそのままだったら同率となってプレーオフをする事になったため、巨人の抗議でグレートリングが優勝する結果となった。
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選手・スタッフ
表彰選手
脚注・出典
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