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1960年の大洋ホエールズ
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1960年の大洋ホエールズでは、1960年の大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは三原脩監督の1年目のシーズンであり、球団創設11年目にして初のリーグ優勝と日本一に輝いたシーズンである。
概要
前年まで6年連続最下位だった大洋は、前年まで西鉄の監督を務め、西鉄を4度のリーグ優勝・3度の日本一に導いている三原脩を新監督として迎えた。チームは、前年までと同様に貧打に苦しんだが[注 1]、新人の近藤昭仁を二塁に、さらにシーズン中の6月にトレードで近鉄から獲得した鈴木武を遊撃に置き、守りの野球に徹した三原監督が投手陣をやり繰りし、接戦を次々と勝利していった。開幕6連敗を喫した序盤は5月終了時点で借金3と苦戦したが、6月1日の対巨人戦で鈴木隆がセ・リーグ記録の8者連続奪三振を記録してからチームは波に乗り、最終的には2位の巨人に4.5ゲーム差をつけて初のリーグ優勝を果たした[3]。日本シリーズでは、打者2人で先発を交代させる奇策を見せて、第1戦に勝利したのを皮切りに、「ミサイル打線」擁する大毎を相手に、レギュラーシーズン同様、投手陣のやり繰りで守り切る野球に徹し、全て1点差勝利の4連勝で初の日本一を決めた。前年まで6年連続最下位で、貧打の大洋を日本一に輝かせた三原監督の手腕は「三原マジック」と称された[4]。投手陣は秋山登、3年目の島田源太郎、大石正彦などの活躍でチーム防御率2.33でリーグ1位となった。対戦成績ではそれまで苦手だった巨人に14勝11敗1分で初の勝ち越しを果たし、そのほとんどを接戦でものにした。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 麻生実男 |
---|---|---|
2 | 一 | 近藤和彦 |
3 | 左 | 岩本堯[注 2] |
4 | 三 | 桑田武 |
5 | 中 | 渡辺清[注 3] |
6 | 右 | 黒木基康 |
7 | 二 | 芝野忠男 |
8 | 捕 | 土井淳 |
9 | 投 | 幸田優 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 大洋ホエールズ | 70 | 56 | 4 | .556 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 61 | 3 | .520 | 4.5 |
3位 | 大阪タイガース | 64 | 62 | 4 | .508 | 6.0 |
4位 | 広島カープ | 62 | 61 | 7 | .504 | 6.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 63 | 67 | 0 | .485 | 9.0 |
6位 | 国鉄スワローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
日本シリーズ
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オールスターゲーム1960
→詳細は「1960年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出。
できごと
10月2日、甲子園球場で迎えた阪神戦。1回表・大洋の攻撃中に、その日はデーゲームだったマジック対象チームの読売ジャイアンツが広島カープに敗れたことにより、球団創設11年目にして初のリーグ優勝を果たした[6]。
10月11日から行われた日本シリーズでは[7]、大毎オリオンズに全て1点差で4連勝し、初優勝で初の日本一となった[8]。
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
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