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1989年の全日本ロードレース選手権
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1989年の全日本ロードレース選手権 (1989ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1989年(平成元年)2月26日の筑波ロードレース大会で開幕し、同年10月29日の第26回MFJグランプリ (筑波)で閉幕した全16戦による1989年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
1989年の全日本ロードレース選手権 | |||
前年: | 1988 | 翌年: | 1990 |
トップカテゴリーの500ccクラスチャンピオンは藤原儀彦(ラッキーストライク・ヤマハ)が3年連続の王座に就いた[1]。
1989年シーズン
500cc
ヤマハの藤原儀彦がYZR500で3連覇に挑むシーズンとなるが、開幕前のテストで足を負傷し、万全ではないコンディションでシーズンに突入する[2]。ヤマハ陣営は藤原、片山信二に加えて、TT F1クラスでYZF750を開発しながらタイトル争いの実績を積んだ町井邦生が500ccに転向。ネスカフェのスポンサードを得てフルエントリーする。WGP500でのヤマハユーザーの戦いを見据えつつ、YZR500のマシン開発を担う平忠彦は実戦にはスポット参戦となるが、全日本500へ参戦した際には依然として優勝を争う存在であり、鈴鹿8時間耐久にも参戦する[3]。ホンダ陣営は、3年ぶりに全日本へ復帰しホンダ・NSR500でフル参戦する八代俊二が伊藤真一、宮城光に加わり、層に厚みを増した。
スズキは、RGV-Γでのワークス復活3シーズン目を迎え、前年と同じく樋渡治と辻本聡のコンビがSchick ADVANTAGE・スズキレーシングから参戦、水谷勝は本年度エントリーリストに名前がなく参戦しないことになった[3]。
250cc
ヤマハ陣営の250ccクラス布陣は、前年7勝を挙げ王座に就いたUCCヤマハの本間利彦が、今シーズンは初めて開幕からVツインエンジンのヤマハ・YZR250で参戦する。TT F3チャンピオンを獲得した塩森俊修がもう1台のYZRで自身4年ぶりとなる250ccクラス復帰となり、キリンMetsヤマハRTから参戦。昨シーズンTZ250でランキング4位の難波恭司と、ジュニア125チャンピオンのA級ルーキー原田哲也がワークスの手の入ったTZ250で参戦。原田は500ccの町井と2人で「ネスカフェ・ヤマハ」からのエントリーとなった。
ホンダは、TT F3クラスから田口益充(前年250にスポット参戦し2勝を獲得)を250ccクラスへ本格的に転向させ、奥村裕・小林大と味の素ホンダ・NSR250を3人体制で本間+YZRに対抗する。加えて、サテライトチームとして日本たばこ産業(JT)のスポンサードを得た「キャビンレーシング」が発足し、1タイプ型落ちではあるがワークスマシンNSRを前年ランキング11位の宇田川勉と、同14位の岡田忠之に供給。市販TZで同6位となったベストプライベーター新井純也もホンダサポートライダーとなり、250チャンピオン奪回に向け万全の態勢を敷いた[3]。
また、特別昇格制度により飛び級で国際A級に上がった17歳の青木宣篤は、日清食品・カップヌードルの協賛を得て発足した「カップヌードル・レーシングチーム」(運営はテクニカルスポーツ関東)から250ccにRS250R、TT F3クラスにNSR250RKでダブルエントリーする[4]。
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スケジュールおよび勝者
- 2月26日・第1戦筑波大会はジュニアグランプリ大会、国際A級の開催はなし。
- 3月23日・WGP開幕戦鈴鹿では全日本TT F3クラスが併催され、全日本選手権ポイントが与えられた。
- 7月23日・第11戦鈴鹿大会はジュニア6時間耐久レース、国際A級の開催はなし。
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シリーズポイントランキング
- 第16戦MFJ-GPでは、特別ポイントとして入賞者に従来のポイント+3ポイントが与えられる。
500cc
- 太字はポールポジション。
250cc
- 太字はポールポジション。
125cc
- 太字はポールポジション。
TT F1
TT F3
ジュニア区分
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関連項目
脚注
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