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B.J.サーホフ

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B.J.サーホフ
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ウィリアム・ジェームズ・サーホフ(William James "B. J." Surhoff, 1964年8月4日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区出身の元プロ野球選手外野手捕手三塁手)。右投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...
概要 オリンピック, 男子 野球 ...

父のディック・サーホフ英語版は元NBA選手。2歳上の実兄リック・サーホフ英語版は元メジャーリーガー。甥のブライアン・モランコリン・モランの兄弟もプロ野球選手である[1]

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経歴

プロ入り前

1982年MLBドラフト5巡目(全体128位)で地元ニューヨーク・ヤンキースから指名を受けるが契約せず、ノースカロライナ大学チャペルヒル校に進学した。1984年には第13回日米大学野球選手権に出場[2]、さらにロサンゼルスオリンピックアメリカ代表として出場し、銀メダルを獲得した。

現役時代

1985年MLBドラフト1巡目(全体1位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され、プロ入り。捕手としてプレーし、同年A級ベロイト・ブルワーズ英語版で打率.332、1986年はAAA級バンクーバー・カナディアンズで打率.308を記録した[3]

1987年は開幕メジャー入りを果たし、4月8日のボストン・レッドソックス戦でデビュー[4]。同年は115試合に出場して打率.299、7本塁打、68打点、11盗塁を記録した。翌1988年には打率.245、5本塁打、38打点だが、21盗塁と捕手にしては快足ぶりを発揮。打撃を生かして徐々に捕手以外でのポジションでの出場が増え、1993年以後は三塁手、のちに外野手に転向。

1995年に打率.320を記録し、初の2桁本塁打(13本)を記録。

シーズン終了後に優勝できるチームを希望し、ボルチモア・オリオールズへ3年契約でFAで移籍[5]。以後は、捕手としての出場はなかった。1996年には143試合に出場して打率.292、21本塁打、82打点の成績を残し、1998年オフに日米野球で来日。3年契約を満了し、12月に4年総額1850万ドルで契約延長[5]1999年は開幕直後にウィル・クラークに代わり3番打者として起用され、初のオールスター選出を果たす。全162試合に出場し、球団史上最多のシーズン673打数で207安打、104得点、28本塁打、107打点、打率.308と軒並み自己最高の記録。

2000年シーズン途中の7月31日にアトランタ・ブレーブスへトレードで移籍するが、この頃から成績が下降し、2002年には25試合の出場に終わった。

2003年にオリオールズに復帰し、3シーズンプレーして、2005年限りで現役を引退した。

2007年にオリオールズの殿堂入りを果たした[6]

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詳細情報

年度別打撃成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 5(1987年 - 1995年)
  • 17(1996年 - 2000年途中、2003年 - 2005年)
  • 15(2000年途中 - 2002年)

代表歴

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脚注

関連項目

外部リンク

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