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J.P.ファイアライゼン
アメリカ合衆国のプロ野球選手 (1993-) ウィキペディアから
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J.P.ファイアライゼン(英語: J. P. Feyereisen, 本名:ジョナサン・ポール・ファイアライゼン(Jonathan Paul Feyereisen, 1993年2月7日 - )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州リバーフォールズ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下所属。
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経歴
要約
視点
プロ入りとインディアンス傘下時代
2014年のMLBドラフト16巡目(全体488位)でクリーブランド・インディアンスから指名されプロ入り。傘下のA-級マホーニングバレー・スクラッパーズでプロデビューし、15試合に登板して3勝0敗、防御率0.00、24奪三振の成績を記録した[1]。
2015年はA級レイクカウンティ・キャプテンズで開幕を迎えた。シーズン途中にA+級リンチバーグ・ヒルキャッツへ昇格。2チーム合計で46試合に登板して1勝1敗、防御率2.08、56奪三振の成績を記録した[1]。
2016年はAA級アクロン・ラバーダックスで開幕を迎えた[1]。
ヤンキース傘下時代
2016年7月31日にアンドリュー・ミラーとのトレードで、クリント・フレイジャー、ジャスティス・シェフィールド、ベン・ヘラーと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[2]。移籍後は傘下のAA級トレントン・サンダーへ送られた[3]。この年は移籍前と合わせて42試合に登板して7勝3敗、防御率1.70、78奪三振の成績を記録した[4]。
2017年はAA級トレントンで開幕を迎えた。シーズン途中にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースに昇格。2チーム合計で37試合に登板して2勝3敗、防御率3.27、60奪三振の成績を記録した[1]。
2018年はAAA級スクラントンで37試合に登板し、6勝6敗、防御率3.45、59奪三振の成績を記録した[1]。
2019年もAAA級スクラントンで開幕を迎えた。
ブルワーズ時代
2019年9月2日にブレニー・エスカニオとインターナショナル・ボーナス・プール(海外選手契約金枠)とのトレードで、ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。オフには11月に開催された第2回WBSCプレミア12のアメリカ合衆国代表に選出された[5]。その後、40人枠に登録された[6]。
2020年は開幕ロースター入りした。開幕戦となった7月24日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。この試合でクリス・ブライアントからメジャー初奪三振を記録したが、続くアンソニー・リゾにソロ本塁打を浴びた。この年はメジャーで6試合に登板して0勝0敗、防御率5.79、7奪三振の成績を記録した[1]。
レイズ時代
2021年5月21日にウィリー・アダメス、トレバー・リチャーズとのトレードで、ドリュー・ラスムッセンと共にタンパベイ・レイズへ移籍した[7]。
ドジャース時代
2022年12月14日にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[1]。
2023年は故障のリハビリのため全休した。
2024年3月20日に開幕ロースター入りした[8]。3月21日の試合に登板し、約2年ぶりにMLBの公式戦に登板した。この試合では1回を投げて、被安打3、3失点と打ち込まれ、翌日AAA級オクラホマシティ・ベースボールクラブに降格した[1]。これ以降、7月3日まで昇格と降格を交互に繰り返した[1][9]。レギュラーシーズン終了後の10月10日にFAとなった[10]。この年は前述の試合も含めて10試合に登板したものの、0勝1敗1セーブ、防御率8.18、9奪三振と首脳陣の期待に応えられなかった[1]。また、登板数も自己最低であった。
ダイヤモンドバックス傘下時代
2025年3月15日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ[11]。契約後はそのままAAA級リノ・エーシズに配属された[11]。
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選手としての特徴
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
ポストシーズン投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2023年度シーズン終了時
背番号
- 54(2020年 - 2021年途中)
- 34(2021年途中 - 2022年)
- 45(2024年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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