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城父の戦い
春秋戦国時代の戦い ウィキペディアから
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城父の戦い(じょうほのたたかい)は、紀元前225年に楚軍が秦軍を大敗させた戦い。
概要
紀元前225年、秦は魏を滅ぼし、次の標的を楚とした。秦王政は楚の攻略に必要な兵数を尋ねると李信は20万人、王翦は60万人と答えた。秦王政は「王将軍は老いた。どうしてそんなに怯えることがあるのか。李将軍の勢いは壮勇であり、その言葉は正しい」と言って李信の案を採用し、李信・蒙恬に10万人ずつの兵を託し楚の討伐に向かわせた。
李信は平與から、蒙恬は寝丘から攻め入り、大いに楚軍を破った。李信はまた、鄢・郢を攻略した。そこで李信と蒙恬は一旦兵を引き、西に向かって城父で合流した。楚軍はその後を三日三晩休むことなく追いかけて急襲し、李信軍を大いに破り、二つの塁壁を破って七人の都尉を殺した。秦軍は全軍覆没し、敗走した[1]。
脚注
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