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山形村 (岩手県)
日本の岩手県九戸郡にあった村 ウィキペディアから
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山形村(やまがたむら)は、岩手県北部の九戸郡に存在した村である。2006年(平成18年)3月6日に、旧・久慈市と合併して久慈市山形町となり消滅した。
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歴史
要約
視点
山形村は、沿岸と城下盛岡を結ぶ野田街道が通り、古くより沿岸の塩を内陸へ運ぶ「塩の道」として使われた。平庭高原の麓には、九戸政実の乱中に葛巻信祐と久慈氏の合戦で久慈直治軍300騎が待機した馬寄平や、合戦が行われた合戦場が地名として残り、戦には山形村からもその頭目が参加したといわれている。山形村は寛文4年までは盛岡藩に属し、以降は八戸藩久慈通に属した。当時は川井、霜畑、小国、繋、戸呂町、日野沢、荷軽部の各村があり、関村には盛岡藩と八戸藩の藩境として関番所が置かれていた。明治2年には宮古湾海戦で敗れた幕府軍脱走兵75人が盛岡に護送される途中、関村に滞在しその間に盛岡藩の役人100人、久慈代官所から30人の役人が関村に詰めたといわれている。
沿革年表
1947年以降における村内の主な事象。
- 1947年(昭和22年):12月、木炭生産量が日本一となる(58.4万俵)[1]。
- 1948年(昭和23年):3月、山形村農業協同組合および共済組合が設立。4月、関小国農業協同組合が設立。5月、岩手県立久慈高等学校定時制山形分校が開校[1]。
- 1953年(昭和28年):5月、新役場庁舎および国保診療所が完成[1]。
- 1956年(昭和31年):10月、国鉄バスが小国久慈間で運行開始。12月、繋・霜畑・小国・日野沢・戸呂町・来内・川井地区に電気が引かれる[1]。
- 1961年(昭和36年):5月、平庭高原が県立自然公園に指定[1]。
- 1963年(昭和38年):3月、山形村森林組合が設立[1]。
- 1966年(昭和41年):12月、川井地区に簡易水道が整備される[1]。
- 1969年(昭和44年):11月、全村に電気が引かれる[1]。
- 1971年(昭和46年):10月、山形村総合センターが完成[1]。
- 1973年(昭和48年):3月、地域集団電話が開通。4月、広域行政組合消防署山形分遣所(のち久慈地区広域行政事務組合久慈消防署山形分署)が開所[1]。
- 1977年(昭和52年):11月、山形村民憲章・村花・村鳥・村木を制定[1]。
- 1980年(昭和55年):12月、平庭高原スキー場が開設。明治以来の大冷害が襲い、被害額は8.8億円にのぼった[1]。
- 1981年(昭和56年):4月、国民健康保険歯科診療所が開設[1]。
- 1983年(昭和58年):4月、新制山形中学校が開校(村内5中学校を統合)[1]。
- 1984年(昭和59年):4月、山形B&G海洋センター(現:久慈市山形B&G海洋センター)が開設[1]。
- 1989年(平成元年):10月、村制施行百周年記念式典を開催[1]。
- 1992年(平成4年):7月、特別養護老人ホーム愛山荘および高齢者生活福祉センターが開所[1]。
- 1994年(平成6年):11月、国道281号川井バイパスが全線開通[1]。
- 1996年(平成8年):12月、道の駅白樺の村やまがたをはじめとする新交流ゾーンが完成[1]。
- 1998年(平成10年):7月、山村文化交流センターおらほーるが開設[1]。山形村立図書館が併設開館[2]。
- 1999年(平成11年):10月、豪雨が襲来し、被害額55億円以上の大被害を出す[1]。
- 2000年(平成12年):繋小学校ドーム型校舎が完成[3]。
- 2002年(平成14年):3月、内間木洞が総延長6,000メートルを超え、国内3位となる[1]。
行政区域の変遷
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行政
村長
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産業
山形村の主な産物は金、鉄、マンガン、牛馬、漆、木炭などで、特に鉱業は江戸時代から盛んであった。八戸藩の御手山となった金取鉄山や、繋鉄山、小国鉄山からは鉄を産出し、特に金取鉄山は二合吹きが多い中で安政期に四合吹き操業をして好成績を上げた。繋村の馬内金山、夏井の金山、深田金山、小国金山などからは金が産出し、周辺の河川では砂金の採取も行われた。近代にはマンガンの採掘が行われ、鉱床の数が岩手県下随一であった山形村には川井鉱山や小国鉱山など多数のマンガン鉱山が操業した。
地域
要約
視点
主な施設を掲載。
情報は山形村廃止時点のもの。出典は特記なき限り、山形村ホームページ「公共施設紹介」による[7]。
官公署
- 久慈警察署山形駐在所
- 久慈地区広域行政事務組合久慈消防署山形分署
医療・福祉・厚生施設
- 山形村国保診療所
- 山形村老人福祉センター
- 山形村高齢者生活福祉センター
- 山形村デイサービスセンター
- 特別養護老人ホーム愛山荘
未就学児施設
- かわい児童館
- 山形村霜畑児童館
- 荷軽部へき地保健福祉館
- 戸呂町へき地保健福祉館
- 日野沢幼児教室
- 来内幼児教室
社会教育施設
郵便局

このほか、繋地区に繋簡易郵便局が所在していたが、1998年に廃止された。
学校
- 高等学校
- 中学校
- 山形村立山形中学校 - 川井地区に所在[10]。1983年に村内5校を統合して誕生した、村の中心的な中学校であった。7小学校区を学区とした[10]。
- 山形村立霜畑中学校 - 霜畑地区に所在[10]。地元の老人ホームや福祉まつりとの活動を通じ、福祉教育に力を入れた[10]。久慈市合併後の2009年に閉校[11]。
1970年から1990年にかけて統廃合が行われ、以下の7校が廃止された[12]。
- 山形村立日野沢中学校(1970年、初代山形中学校へ統合)
- 山形村立山形中学校(初代)(1983年、4校と統合し2代目山形中学校となる)
- 山形村立繋中学校(1983年、2代目山形中学校へ統合)
- 山形村立荷軽部中学校(同上)
- 山形村立来内中学校(同上)
- 山形村立戸呂町中学校(同上)
- 山形村立小国中学校(1990年、2代目山形中学校へ統合)
- 小学校
8校全てがへき地校に指定されていた[13]。また地区の過疎化や少子化の影響から、全ての小学校で複式学級編成が組まれ、山形小学校と霜畑小学校以外では児童が1人も居ない学年が発生していた[13]。
- 山形村立山形小学校 - 川井地区に所在。川井地区を学区とした村最大の小学校であった[10]。
- 山形村立小国小学校 - 小国地区に所在[10]。老人ホームなどへスズランの花を届ける「スズラン訪問」を長年にわたり行っていた[10]。久慈市合併後の2018年閉校[14]。
- 山形村立霜畑小学校 - 霜畑地区に所在[10]。アルミ缶の回収活動を年間を通じて行っていた[10]。久慈市合併後の2021年閉校[14]。
- 山形村立戸呂町小学校 - 戸呂町地区に所在[10]。1874年4月の開校で村内では最も古い[10]。1993年より戸呂町神楽の伝承活動を行っていた[15]。久慈市合併後の2012年閉校[14]。
- 山形村立繋小学校 - 繋地区に所在[10]。2001年に完成した新校舎は、全国でも珍しいドーム型構造であった[16]。2棟の教室棟を直径約30メートルの膜で覆い、側面を一面ガラス張りにした構造である[17][16]。寒さ厳しい豪雪地帯に対応すべく、全体を覆う膜は積雪190センチメートルに耐えられ、氷点下20度を想定し、温風式床暖房とパネルヒーターの併用暖房とペアガラスを採用するなど、先進的な技術が取り入れられた[16]。また村唯一の山村留学導入校であった[18]。久慈市合併後の2011年閉校[14]。
- 山形村立日野沢小学校 - 日野沢地区に所在[10]。ハナカジカの調査研究に力を入れた[10]。久慈市合併後の2011年閉校[14]。
- 山形村立荷軽部小学校 - 荷軽部地区に所在[10]。荷軽部太鼓の伝承活動を行っていた[10][19]。久慈市合併後の2012年閉校[14]。
- 山形村立来内小学校 - 来内地区に所在。1999年には羊の飼育をはじめ、動物愛護の心を育んだ[10]。
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交通
鉄道
村内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR東日本東北新幹線およびIGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線のいわて沼宮内駅、あるいはJR東日本八戸線および三陸鉄道北リアス線の久慈駅。
バス
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 久慈平庭県立自然公園
- バッタリー村
指定文化財
県指定文化財
村指定文化財
出身有名人
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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