リリー・マルレーン
ウィキペディアから
ウィキペディアから
『リリー・マルレーン』(Lili Marleen)は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲。ドイツの歌手・女優、ララ・アンデルセンが1939年2月に録音したバージョンがヨーロッパ全体でヒットした。
1915年にロシアへの出征を前にドイツの詩人ハンス・ライプ(Hans Leip)が、ベルリンのある兵営の営門に歩哨に立った時に創作した詩集『Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht』(邦題・港の小さな手風琴)に収録されていた詩を原典として、第二次世界大戦直前の1938年に、作曲家ノルベルト・シュルツェ(Norbert Schultze)が曲をつけた。
1939年に発売した当初、アンデルセンのレコードは60枚しか売れなかったと言われている。しかし、販売店に山積みになっていた売れ残りのレコードから、店員がドイツ軍の前線慰問用レコード200枚の中に2枚紛れ込ませた。それが1941年の秋に初めて流され、それ以後も放送で繰り返しかけられて人気を得た[1]。もしくは、ベオグラード放送局の職員が、リリー・マルレーンを気に入っていた友人のために放送したとも言われる。
第二次世界大戦下の一時期、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流れたこの歌に、多くのドイツ兵が戦場で耳を傾けて故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。
アンデルセンは慰問で人気者になったが、長くは続かなかった。1942年夏、アンデルセンと親しい関係にあったロルフ・リーバーマンがユダヤ人であったことが当局に知られてアンデルセンは歌手活動が禁止され、アンデルセン盤の原盤が廃棄される事態となる。ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相の指示により「リリー・マルレーン」のタイトルとメロディ自体は残され、別バージョンが作られた。
歌詞の内容は、戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌ったものである。
アンデルセンの生涯を題材にしたドイツ映画『リリー・マルレーン』が1981年に製作・公開された(日本では、事前の予想に反し全く不発だった)。
『文藝春秋』1974年5月号の鈴木明の記事「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」(のち1975年に『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』の題で文藝春秋社から単行本化)がきっかけとなり、1975年に後述の日本語カバーのヒットや、ディートリヒ版のリバイバルヒットが生まれた[2](東芝EMI EMR-10761)。アンデルセン版のシングル盤も同年に再発売されている(ポリドール DP1985)。
多数の歌手によりカバーされて歌い継がれているが、訳者の異なる数種類の日本語版がある。特に片桐和子による訳詞が原語に忠実である。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.